知りませんでしたねぇ。
わが国の全土に電気が供給されるようになったのがわずか25年前だったとは。
25年前、昭和63年と言えば、バブルの初期。
都会という都会では不夜城のごとく24時間煌々と電気がともされ、様々な家電が生活に余裕を与えてくれるのが当たり前でした。
岩手県宮古市の山中にあるタイマグラ集落では、この年初めて電気が通り、60ワットの裸電球を取り付けた4世帯8人の住民はランプとは比較にならないまぶしい光に狂喜したとのことです。
むかし、「おしん」というドラマがありました。
大正末期でしょうか、おしんが住む町に電気が通り、町の人々が裸電球の明るさに驚愕するシーンがあって、現代を生きる私には衝撃的であるとともに、それは遠い昔の歴史的事実としか思いませんでした。
それが平成の御世になるわずか一年前まで、電気の無い生活をしていた集落があったのですねぇ。
昔ははるか過去のようでいて、じつは意外にも最近の出来事であったのだと思い知らされました。
タイマグラ集落、盛岡駅から一日わずか4往復のJR山田線にゆられること90分、陸中川井駅からさらに山道を車で40分も走って、ようやくたどり着く陸の孤島だそうです。
おそらく電力会社もあまりに不便であることと、集落の人口があまりに少ないことから、打ち捨てていたものと思われます。
到底その技術が25年前までなかったとは思えません。
最近、やや下火になりましたが、つい1年ほど前までは、原発に反対する運動が盛んでした。
わが国は原発の稼働を中止し、そのために火力発電をフル稼働し、石油を大量に消費し、汚い空気を吐き出す羽目になってしまいました。
坂本龍一などは70年代くらいの電力量に減らせば原発など要らない、と寝言をほざきますが、それを言ったらきりがありません。
江戸の昔に生活様式を戻せば、電力など不要ということになってしまいます。
一日たりとも、人は生活を昔に戻すことはできません。
電力による便利な生活に慣れた国民にそんなことを強いれば、国民は不満の声を挙げ、揚句の果てには暴動にまで発展するでしょう。
また、ありとあらゆる産業は衰退というより崩壊し、日本社会は壊滅的打撃を受けることになります。
電車もなく、飛行機も飛ばず、今まさに進行中の情報革命はとん挫し、わが国は世界に例をみない最貧国に落ち込み、国民のモラルは低下して、のっぴきならない事態に立ち至ること必定です。
将来的には太陽光発電など、自然エネルギーへの移行を目指すべきでしょうが、ただ今現在、それを行うことは不可能です。
おそらく、50年、100年という長い年月が必要でしょう。
自然エネルギーへの移行を目指す間、今のように火力発電に頼るのは剣呑というものです。
原子力発電を早期に再稼働し、エネルギーの安定供給を図る必要がありましょう。
また、福島の原発事故をチェルノブイリやスリーマイルと同等視する向きがありますが、それは根本的に間違っています。
福島の原発事故の直接的な原因は自然災害なのですから。
ただ、当時の民主党政権の対応が後手にまわり、本来自然災害に伴う事故だったはずが、ほとんど人災のようになってしまいました。
民主党政権の3年間は思い出したくもない暗黒時代だったと言う他ありません。
私はおそらく、民主党という政党は消えてなくなるものと考えています。
日本新党や新進党がそうであったように。
しぶといのは社民党ですね。
社会党時代、最盛期には200人もの国会議員を擁していたのが、今はたった6名ほど。
あれは自社さ政権で村山富市が総理に担ぎ出され、自衛隊を認め、国旗国歌を認め、日米同盟を認めるという現実路線に舵を切ったことから、社会党の存在意義がなくなり、非武装中立のような時代遅れの非現実的な政策を維持しようとするわずかな者を除いて我も我もと民主党に乗り換えたことが原因でしょうねぇ。
それでもわずかながら議席を維持し得ているのは、わが国に少数ながら昔の夢を追いかける幸せな人々がいるからでしょう。
おめでたいというか、思考停止というか。
ちょっと羨ましくもありますね。
人の世は少しずつ進歩もしくは変化しています。
電力会社から忘れ去られていた感のある山中の集落に電気が通って25年。
彼らの素朴な感動こそが、技術革新の原動力であるに違いありません。
生活の利便性や楽を求めて技術革新を続ける努力を怠るべきではありません。

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