チャタレイ・サド・四畳半襖の下張各裁判

文学

 私はホラー映画などの残虐な作品を好んで観ます。
 また、性愛を扱った文学作品や映像作品にも好んで接します。
 しかしそういったものは、多くの都道府県で有害図書等として、青少年へ販売してはいけないことになっているのですね。
 まだ未熟な青少年がそれらわいせつとされる作品や暴力的な作品に感化されることを防止するという主旨は理解できます。

 しかし私は、刑法175条のわいせつ物頒布等を禁じた法律には、非常な違和感を覚えます。
 例えば成人が鑑賞するアダルトビデオ等は、生殖器が見えないようにモザイクをかければ合法ということになっているようです。
 そういう基準を設けた人はよほど幼稚な性意識を持っていたと思われます。
 人体の一器官にことさら意味を持たせるというのはいかにも不思議です。
 というか、そういう風に取り締まるから、特別な意味を持ってしまったのです。
 お上がこれはわいせつですよ、と言って隠すから、わいせつになってしまったのです。

 また、1950年代から1970年代にかけて、チャタレイ裁判・サド裁判(悪徳の栄え裁判)・四畳半襖の下張裁判と、著名な文学者の作品がわいせつであるとして裁判にかけられ、いずれも一流の文学者と検察による芸術かわいせつか、という議論になり、最高裁で有罪となりました。
 私はいずれの作品も読んでいますが、現在に至るも伏せ字が施され、かえって何が書いてあるのだろうかと、好奇心をくすぐられますが、芸術性の高さは驚愕すべきレベルです。

 徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの、というのが裁判所のいうわいせつの定義ですが、これでは世の中にわいせつでないものは存在し得ないことになろうかと思います。

 蝶を見ると性欲が刺激される人とか、ハイヒールに興奮する人とか、性の趣味嗜好は千差万別です。
 井上ひさしはわいせつと芸術を論じる講演会で、まんじゅうを見ても赤貝を見ても性欲をそそられる、と話し、中年婦人の団体が一斉に退席したとか。
 最も一般的なのは、男の場合では健康な若い女性の裸や濡れ場などに興味を持つもので、恐らく裁判所はそういうものをわいせつと言っているのだろうと想像できます。

 しかし性欲がなくなれば人間という種は滅びるしかなく、発情期がないもしくはいつも発情期の人間にとっては、徒に性欲を興奮又は刺激せしめてもらわないと、夫婦間の性交渉ですら難しいというものです。

 栗本慎一郎はなるべく厳しくわいせつを取り締まったほうが、男の想像力が掻き立てられ、性欲が亢進するので、お上には厳格にわいせつの罪を適用してもらいたい、と逆説的なことを言っていました。
 そういう意味ではイスラム原理主義社会のように、全身をすっぽりと布に覆っている女は最高にわいせつだということになりましょう。

 私はわいせつでない芸術というのは本来存在し得ないと考えています。

 ダリがミレーの農夫の絵をみて、抑圧された性欲の絵、と看破したように、服を着てるとか着てないとか、濡れ場があるとかないとか、その濡れ場が濃厚だとか淡白だとか、そういうことに大した性的意味合いはないのではないでしょうか。

 裁判所の判断をわが国の古典文学に適用したら、「源氏物語」にしても「伊勢物語」にしても、あるいは「古事記」にしても、みなわいせつになってしまいます。
 芸術的な精神の高まりは、性欲の亢進によく似ています。
 ドフトエフスキーは執筆中、しばしば芸術的興奮に陥り、自慰行為でそれを鎮めたそうです。
 
 善良な性的道義観念とはいかなるものでしょうね。
 そんなものは極めて個人的な思想・信条の類なので、お上がこれを取り締まるのは余計なお世話だと思うのですが。 
 

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