日々小説や映画などの物語に接して、ぼんやりとした不思議を感じます。
例えば1000年前の「源氏物語」を読んでいて、私は私の「源氏物語」を再編成しているわけですが、これがあらゆる物語の享受者によって同時並行的に行われるということは、驚愕すべき事態です。
作者はAという物語を作り上げます。そしてそのAは、作者にとって一種の自己弁護に過ぎません。
作者が面白い、もしくは美しい、あるいは正しい、と思う、作者にとっての良い物を自慰のように垂れ流すのです。
そしてAを鑑賞するものは、Aを元にして、Aとよく似た、しかしAとは違うA´を作り上げます。
仮にAを100人の人が鑑賞したなら、100のAのような物語が生まれるわけです。
これが同時に、しかも時代を超えて行われるわけですから、Aによって無限の物語が生まれ、拡大再生産を続けることになります。
それが外国の作品であれば翻訳によって、また古典であれば現代語訳によって、また、舞台化や映画化によって、Aのヴァリエーションはもはや収拾不可能なパラレルワールドを生み出します。
まるでネズミ算のようです。
物語が人の数だけ拡がっていく様を、芥川龍之介は「藪の中」で見事に描きました。
そして「藪の中」を映画化した「羅生門」において、黒澤明も。
芥川龍之介はその後、物語性の低いアフォリズムばかりを書くようになり、やがて将来に対するぼんやりとした不安を理由に、自殺してしまいます。
彼は何を見たのでしょうね。
彼の作品「地獄変」では、炎熱地獄の絵を描くため、自分の娘が焼け死ぬ様をうっとりと見つめた天才絵師を、絵の完成後に自殺させています。
芸術家が芸術の本質を思考することは、狂気を生じさせるような気がします。
ルノワールのように、大好きな絵を無心に描き、それが金になり、人生を楽しむような楽天的な芸術家は、本当に幸せです。
いや、野に咲く花を一心に見つめ続ける子供が、最も幸せかもしれません。
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