テレビ朝日で放送していたノンフィクション「若年性認知症」を見ました。
認知症の苛烈な症状と、私が抱えている躁鬱病の症状は、当然違っていますが、脳の障害という意味では、同じです。
ゆっくりと自分が壊れていく過程を自覚し、その恐怖に耐えなければならない、という意味でも似ているでしょう。
幸い、最近の私は安定してきています。
しかし、いつまた悪化するかわかりません。
躁の万能感はある意味心地よくもありますが、その異常さは、躁の最中にあっても、自覚しています。うつのしんどさは筆舌に尽くしがたいものです。
私は番組を見ながら、壊れる前の元気だった自分を思い、涙を禁じえませんでした。