ノーベル賞作家

文学

 1972年の4月16日、我が国で最初のノーベル文学賞を受賞した作家、川端康成が亡くなりました。
 親交のあった三島由紀夫の割腹自殺から一年半後、作家72歳の春でした。

 ガス自殺説では、老醜をさらしたくないがためであるとか、三島由紀夫を喪った喪失感であるとか、ノーベル文学賞受賞の重圧のためであるとか、甚だしきにいたっては、可愛がっていたお手伝いさんが辞めたからだとか、様々な憶測がとびかいました。
 また、なれないガス暖房器具を自ら操作したため、誤って事故死したのだという説も有力です。

 いずれにしろ、真相は闇の中。

 ミステリアスでセクシャルな雰囲気が漂う美的世界を追い求めた作家には、むしろお似合いかもしれません。

 川端康成という作家、数々の日本の美を詠う作品を残しましたが、じつは食うために少女小説も多く書いていて、これがなかなか面白いのですよ。

 当時良家の子女に大人気だった雑誌「少女の友」に発表された「乙女の港」では、当時男女交際が破廉恥な行為とされていたことから、女学生の上級生と下級生が特別な友人関係を結ぶという、いわば擬似恋愛のようなS(sisterの略)という関係性を描いた小説は面白かったですねぇ。

 大人向けの文芸作品では、私は「眠れる美女」という作品を偏愛しています。
 もう役に立たなくなった老紳士がこっそり訪れては、すやすやと眠っている美少女と一緒にと特に何をするでもなく一緒に眠る、というシステムの一種の性風俗店を舞台にした、屈折したエロティシズムを感じさせる名品です。

 川端康成は「女を見るときはあたまのてっぺんからつまさきまで、舐めるように見なければならない」と言ったとか言わないとか。
 女性が大好きだったのでしょうねぇ。
 親友の三島由紀夫が男色を好んだのとは好対照ですねぇ。

 終戦直後、国敗れた祖国の惨状を見て、「もう私は、日本の美しか詠わない」と宣言し、だからこそナショナルな文学はインターナショナルたりえ、ノーベル文学賞受賞にいたったものと思われます。

 授賞式にはモーニングではなく紋付き袴姿で表れ、「美しい日本の私」と称する記念講演では、

 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり

 という道元禅師の和歌を朗吟し、季節感を大切にする我が国の美的感覚を強調しました。
 坊主であって歌をあまりよくしなかった道元禅師のこの歌が、わが国で人口に膾炙するようになったのは、この講演のおかげといっても過言ではありません。

 わが国の文学史上に巨大な足跡を残した川端康成先生が亡くなられてからちょうど40年。

 昭和は遠くなりにけり、ですねぇ。

眠れる美女 (新潮文庫)
川端 康成
新潮社


美しい日本の私 (講談社現代新書 180)
エドワード.G・サイデンステッカ-
講談社


完本 乙女の港 (少女の友コレクション)
中原 淳一
実業之日本社


『少女の友』創刊100周年記念号 明治・大正・昭和ベストセレクション
実業之日本社,遠藤 寛子,遠藤 寛子,内田 静枝
実業之日本社

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