月に一度通院を続けている精神科の医師の口癖は、ハッピー感を感じられているか、というものです。
幸福感ではなくハッピー感なのは、軽い感じを出したいからでしょうか。
サラリーマンで精神科を受診している人の多くは、仕事や職場のストレスにさらされた人がほとんどでしょうから、仕事でハッピー感を感じている人はほとんどいないでしょう。
仕事以外に、例えば家族や友人との団欒であるとか、趣味であるとか、日常のちょっとしたことにハッピー感を感じられているかが、その人の精神の健康具合を診るのに適しているのだろうと思います。
とかく若いうちは、立身出世して大儲けしたいとか、スポーツ選手になって大活躍したいとか、学者や芸術家として成功したいなど、大それた野望をもって、小さなハッピー感など馬鹿にするものです。
私自身がそうでした。
しかし仕事や職場の人間関係に疲れ、長い精神障害に苦しんだ後であってみれば、精神科医が言うハッピー感の重要さが身に沁みます。
私であれば、旨い物を食い、旨い酒を飲みながら同居人や古い友人と語り合うことや、映画や小説などで虚構の世界に遊ぶこと、街歩きを楽しむことなどが、ハッピー感を強く感じられる場面です。
私にとって、これらに浸る時間は、まさしくハッピーとしか言いようがない感情を覚えることが出来る、至福の時と言えましょう。
精神が健康になったせいか、さらに新しいことをやってみたいと思うようになりました。
今興味を持っているのは、詩吟と居合。
どちらもわが国伝統の物。
元々私はバタ臭い物が大嫌いで、和風なものが大好き。
週末には着物を着て街歩きを楽しむことを常としています。
どちらが鶏でどちらが卵なのか知りませんが、私の外貌もまた、きわめて和風なようです。
同居人からは、よく、外人離れした顔、などと言われます。
ただ、和風好みの私にとって、決定的な欠陥があります。
正座が苦手なのです。
すぐしびれちゃって、立てなくなるのです。
だらしないことに。
で、詩吟と居合に興味を持ってはいますが、一歩を踏み出すことが出来ません。
百歩譲って、詩吟は椅子に座ってでも出来るのでしょうが、居合の道場で胡坐をかくわけにはいきますまい。
そしておそらく、道場に座布団はありますまい。
板の間に正座なんて、考えただけで冷や汗が出てきます。
居合は体を動かすし、詩吟は大きな声を出すし、両方とも背筋が伸びそうだしと、健康に良さそうで、益々ハッピーになれそうですが、正座を考えると、ちょっとねぇ。
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