パンドラの函と明治大帝

社会・政治

 明治45年の今日、わが国近代化の象徴とも言うべき明治大帝が崩御あそばしました。

 明治大帝です。

 国民はこぞってこれを悲しみ、乃木大将夫妻が殉死して、世間を驚かせましたね。

 神あがり あがりましぬる 大君の みあとはるかに をろがみまつる

 うつ志世を 神去りましゝ 大君乃 みあと志たひて 我はゆくなり

 
乃木大将が残した辞世です。

 乃木大将の遺書には、西南戦争で連隊長として参戦した際、軍旗を敵に奪われたことへのお詫びが述べられ、律義な性格であったことがうかがえます。
 死に方は、わが国の武人の作法に則った、割腹自殺。
 この死に方も、世間を驚かせたことでしょう。

 その後、戦後の混乱期をべつにすれば、著名人の割腹自殺は昭和45年の三島由紀夫まで待たなければなりません。

 辞世ではありませんが、日露開戦の際、明治大帝は、

 よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ

 と、暗に開戦に異を唱えています。

 この明治大帝の御製は、日米開戦を決する御前会議で昭和陛下が朗吟したと伝えられます。

 明治時代はわが国が欧米列強の食い物にされ、白人お金持ちクラブだけの世界支配を許すのか、俄然、わが国が立ちあがって一国と言えども有色人種として初めてお金持ちクラブの仲間入りをするのかを決する重要な時期であったことは間違いありません。

 その後わが国は日清日露の戦争に勝利して世界デヴューを果たし、アジアを侵略しますが、明治の指導層は、いずれ朝鮮も清国も近代化し、共同して欧米列強に対抗する夢を描いていたようです。

 勝海舟はわが国の明治維新が刺激となって、必ず清国も朝鮮も立ち上がると信じ、死の間際、「そろそろ立ちあがっても良い頃だが」とつぶやいています。

 しかし、朝鮮はわが国に併合され、清国は列強に虫食いにされてしまい、わが国だけが、白人お金持ちクラブの末席に座り、富国強兵への道を突き進むことになりました。

 日露戦争がわが国の勝利に終わった時、わが国と日英同盟を結んでいたにも関わらず、英国では、みな喪服を着用し、町は死んだように静まり返っていたそうです。

 有色人種が欧米に伍する力をつけたことが証明され、これがきっかけでパンドラの函が開くのを怖れたのでしょうね。

 太平洋戦争でわが国は敗れましたが、わが国の奮戦に刺激を受けたアジア・アフリカの国々は続々と独立を勝ち得、結局わが国はパンドラの函を開けてしまったことが判明しました。

 そういう意味では、武力侵略は認めないとか、人種差別はいかんとか、現代に繋がる価値観を生み出すきっかけを、明治日本は作ったと言えるでしょう。

 時あたかも中韓は、70年も前のことをぐじぐじとほじくり返して神経戦を仕掛けています。

 しかし今中韓があるのは、明治日本がパンドラの函を開けたからに他ならず、もしあの時わが国も欧米列強の食い物にされていたら、世界は未だに人種差別がはびこり、有色人種は白人お金持ちクラブに支配されていたのではないでしょうか。

 そのような偉大な世界史上の転機の象徴たる明治大帝が崩御あそばした今日と言う日を、私たち日本人は記憶しておかなければならないでしょう。


にほんブログ村


人文 ブログランキングへ