プロレタリア

文学

  少し前ですが、不景気の影響か、「蟹工船」が若者に人気を博しましたね。
 恥ずかしながら、私もいい年をして初めてプロレタリア文学に接しました。
 感想は、ああそう、というところでしょうか。
 宗教であれ政治思想であれ、私は主持ちの文学を好みません。
 そのせいか、国文学では中世説話を最も苦手とします。

 しかし最近、プロレタリアを標榜する短歌や俳句、川柳に接する機会があり、新たな発見をしました。
 けっこう面白いのです。

 
宮城の つい目のさきの 闇市の 人間像を凝然とみる

 市の悪 むしろ絢爛たるいのち 太陽ここに明日も照るべし

 いずれも坪野哲久の作です。
 闇市のなかにもたくましく生きる庶民が描かれています。
 この歌人は、戦前治安維持法違反で検挙されているそうです。

 
射抜かれて 笑って死ぬるまで 馴らし  堤 水叫坊

 手と足を もいだ丸太に してかえし   鶴 彬

 川柳もけっこう頑張っています。
 川柳はプロレタリアというよりブラックユーモアですね。手足を失った体を丸太に譬えるなんて。きついですねぇ。
  

 
プロレタリア文学者というのは一般に辛い現実を描きだすのが上手です。
 しかし不思議なことに、明治43年の大逆事件の際には、政治的傾向が薄いと思われていた森鴎外や永井荷風などの、浪漫派の文学者が抵抗を示したそうです。

 詩人の谷川雁は、「国民の大部分にとって言論の自由はまだ味わったことのない果実だ」と嘆いています。
 
  そしてそれは、現代社会でもそうだと思うのです。
 猥褻だとか、差別表現だとか。
 それに、かしこきあたりに関する発言は注意しないと街宣車がやってきます。
 「悪魔の詩」の作者は今でもイスラム教を冒瀆した罪でイランから死刑というか暗殺命令がでていて、英国警察に保護されている身です。日本語訳した筑波の先生は、本当に暗殺されてしまいました。

 言論の自由を圧迫するのは、為政者ばかりとは限りません。
 むしろ、わが国に漂う空気、時代によって風向きは変わりますが、本質的には変わらない気配こそが、最も怖ろしい弾圧を生むと思います。
 だから私は、KYと言われると誉められたような気分になるのです。

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)
小林 多喜二
新潮社
蟹工船 (まんがで読破)
小林 多喜二
イーストプレス
プロレタリア文学はものすごい (平凡社新書)
荒俣 宏
平凡社


坪野哲久論―その反逆と美への詩魂
山本 司
短歌新聞社
悪魔の詩 上
サルマン・ラシュディ,五十嵐 一,Salman Rushdie
新泉社
悪魔の詩 下
サルマン・ラシュディ,五十嵐 一,Salman Rushdie
新泉社

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