一般にわが国では、敗戦を知らせる玉音放送が行われた日をもって、終戦記念日としています。
しかし米英をはじめとする連合国側は、戦艦ミズーリ号上でわが国の代表が降伏文書に署名した9月2日を対日戦勝記念日としているようです。
したがって今日、9月2日はわが国にとって恥辱を受けた日として記憶すべきところですが、あまりそういう風潮は見られませんね。
実際の戦闘は8月15日にはほぼ終っているからかもしれません。
一方、9月2日を過ぎてなお、戦闘が継続していた地域があります。
いわゆる北方領土です。
わが国が北方領土の領有を主張し続けるのは、戦争が終ったと聞いて、やれやれ、とばかりに帰り支度をしていた日本軍に、ソヴィエト軍が強襲して奪い取ったからです。
ソヴィエトは当初、火事場泥棒的に北海道全土、もしくは北海道の北半分を占領するつもりだったようですが、北方領土のわが軍が頑強に抵抗したうえ、米国の強い警告にあって北海道占領を断念したと聞き及びます。
ソヴィエトは武力による強奪に失敗した後も、北海道をソヴィエト占領区にするよう米英に迫ったようですが、米英は来るべき対ソ戦を考えて、はねつけたとか。
ソヴィエトの言い分を聞いていたら、北海人民共和国みたいなものができて、日本共産党が乗り込んで共産国家を樹立し、わが国は朝鮮半島やかつての東西ドイツのような分断国家になっていた可能性があったのですねぇ。
そういう意味では、本土決戦を回避しえたのは本当に良かったと思います。
もし本土決戦を戦えば、北海道のみならず、東北、関東までもが共産圏になっていた可能性が多いにあります。
もっとも米国は本土決戦を覚悟していたとかで、わが国が意外に早く降伏したことから、国家としての統制がとれなくなったのだと勘違いして占領し、わが国に乗り込んでみたら案に相違してわが国は満州や南方の植民地も含め、精緻な国家体制を維持しており、それに助けられもし、時には敗戦国といえども力を温存していたわが国政府の言い分も聞かなければならず、苦しめられもしたそうです。
様ざまな偶発的な出来事が重なってわが国は敗れ、その後米国の軍事的庇護のもと独立を果たし、まがりなりにも平和な67年を積み重ねてきました。
私の人生がすっぽりこの67年に重なっていることは、長い歴史を考えると奇跡のようにも思えます。
第二次世界大戦後も世界で紛争がなくなったことはなく、今も世界各地で戦いが続けられています。
米国も朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争・イラク戦争と戦い続けています。
今はアフガンに多くの米兵がいますね。
わが国は平和憲法を押し付けられ、その後それを口実に集団的自衛権の行使を拒否し続けています。
今では作ったご当人の米国が平和憲法にいらだつ始末。
嗤えます。
今日と言う日がわが国にとって辱めを受けた日であることに思いをいたし、同時に平和を祈念したいと思います。