雨の土曜日、首都高速を飛ばしてパナソニック本社内にある汐留ミュージアムに出かけました。
お目当ては、「モローとルオー 聖なるものの継承と変容」展です。
ギュスターブ・モローは、私が最も偏愛する絵描きです。
ジョルジュ・ルオーは、フランス国立美術学校でモローが教授を務めていた頃、最も才能を高く評価した愛弟子です。
2人は頻繁に手紙のやり取りをし、「わが子、ルオー」、「偉大なる父」と呼び合う、互いの才能を認め合う師弟でした。
モローは印象派全盛の19世紀末のフランスにあって、ギリシャ神話から題材を採った絵画や、わずかですがキリスト教の宗教画など、およそ印象派とは正反対の、神秘的で耽美的な絵を多く残した、象徴主義の巨匠とされています。
わが国では今も印象派が大人気ですが、解せません。
印象派の絵は健康的に過ぎ、どうも肌に合いません。
一方弟子のルオーは、敬虔なキリスト教徒として、宗教画を多く残しました。
2人の作品群を今日じっくり見比べて、私は圧倒的にモローの絵に惹かれました。
モローの絵の前では、10分でも20分でも立ち尽くしてしまいますが、ルオーの絵の前には1分といられません。
主持ちの芸術には、どうしても馴染めません。
主が宗教であれ、共産主義であれ。
2人が同じ聖女カエキリアを題材にした絵が並べられていましたが、似て非なるものです。
左がモロー、右がルオーです。
モローはオルガンに手を置いたカエキリアが天使と会話している様子を描いていますが、天使というよりお化けに見えます。
なんとも不気味で、それでいて耽美的です。
それに比べて、ルオーはいかにもな感じで、面白味がありません。
一角獣を裸婦が手なづける絵です。
一角獣は気性が荒く、乙女でなければ手なづけられない、とされているわけですが、上の絵を観ると、一角獣と乙女が同類のように見えます。
私はこの絵を観て、一角獣のイメージが変わりました。
一角獣は怖ろしい怪物のようでいて、人間もまた、それと同類の怪物なのでしょうねぇ。
モローはそんなメッセージなど考えなかったかもしれませんが。
上の絵は両方ともモローです。
左の絵は神の王の本質を見てしまった女を描いていますが、神の王が死人のように生気が無いのに比較し、女は生き生きと描かれています。
この絵は今日の展覧会でひと際大きく、目を引きました。
なぜ神の王には表情がなく、しかも青白いのでしょうね。
その謎を探るべく、30分ほどもこの絵をにらみつけていましたが、分かりません。
右の絵は分かりやすいですね。
石引きの男の苦痛を描いています。
さほど広くも無い美術館でしたが、お気に入りのモローの絵がたくさん並んでいて、つい、長居してしまいました。
観ている時は感じませんでしたが、美術館を出て、どっと疲労を感じました。
喫茶店で珈琲などいただき、シガリロ(煙草大の葉巻)をくゆらせて、家路に着きました。
雨の土曜日としては、最高の一日となりました。
中トロと赤貝の刺身を手に入れましたので、展覧会の感想を語り合いつつ、これから同居人と一杯やろうかと思っています。