精神障害の世界では、忙しくなってきたな、と思いつつそれを無難にこなすことができるようになった時をもって治ったと言うのだ、という言説を耳にします。
平成16年にうつ病を発症し、翌17年から18年にかけて6か月、職場復帰するもパワーハラスメントを受けて再発し、19年から20年にかけて9か月、事件が解決して気が抜けて21年から22年にかけて9か月、合計24か月も病気休暇を取りましたが、22年5月1日に職場復帰してからは、3年7か月近く、順調に仕事をこなし、最初は軽い仕事でしたが、今では課内の誰よりもへヴィな仕事を涼しい顔でこなしながら、心にさざ波一つ起きないまでに復活しました。
明日は京都のホテルで3つの会議に参加しなければならず、しかも都合により日帰りしなければなりません。
それはちょっと面倒だとは思いますが、ストレスだとは思わないようになったことを思えば、まさしく忙しくなったことを実感しながら、それを平気でこなせているわけで、医師が言う治った状態にたどり着いたのではないかと思います。
昇進が遅れに遅れていること、そのために年下の上司の元で働いていること、それは面白いことではないですが、上司は私を尊重して意見をよく聞いてくれますし、部下からは深く信頼されていることを実感しています。
こんな日が来ようとは、発症当時には想像もできないことでした。
ずいぶん遠回りしてしまいました。
運が良いとか悪いとかいうことは、確かにあるのだと思います。
長いこと、私は運が悪いとは思っていませんでしたが、人生には思いもかけないことが起きるもので、今となってはそれを嘆くこともありません。
もちろん、また再発する可能性も無しとしません。
しかし私は長い間、闘病しながら仕事もするという生活の中で、再発防止の方法を学びました。
これはダメだと思ったら、仕事の分担を減らしてもらうよう要求すること。
それでもダメなら早めに休んでなるべく早く復帰すること。
それしかありません。
そして私は、自らが精神障害に苦しんだ経験から、これを今苦しんでいる人々に語りたい、という欲求を強く持つようになりました。
まずは長いことご無沙汰している自助グループに出掛けて、自らの経験を語ろうかと思っています。
ただし、自助グループにはほぼ克服した人、苦しみの最中にある人、カウンセラーを目指す学生など、様々な人が参加します。
その場合、何よりも涙ながらに苦しみを訴える今辛い人の話をよく聞くことが重要で、出しゃばって自分の軌跡を自慢げに語ることは厳に慎まなければならないと思います。
私は少年の頃から、文芸の世界で生きていきたいという野望を持っていましたが、今となっては、むしろ精神の不調に苦しむ人々に寄り添うことこそが、自身のライフ・ワークになるような予感がしています。