昨日の日曜日は入院している親族の見舞に行きました。
痩せて元気がなくなってはいましたが、生きるの死ぬのというほどのことではなく、良かったと思います。
50代半ばですので、闘病の体力もあるものと思います。
少々遠い所だったので、行きかえり、小説を読みました。
近頃お気に入りの桜木紫乃の「ワン・モア」という作品です。
安楽死の罪を犯し、大病院から離島の診療所へと左遷された女医と、元同僚でがんの告知を受けた女医の二人を中心に、関連する人物が次々に主人公として小さな物語が紡がれる連作短編集の体裁を取っています。
二人の女医、死に行く側とそれを現代医学の力で遠ざけようとする側、それぞれの葛藤が描かれて迫力があります。
それ以上に、医師を目指しながらそれが叶わず、放射線技師となって複雑な思いを抱える男の葛藤や恋、女医の元でDV被害による傷の治療を受ける若い女性、女医の元で働く中年看護師の恋など、生きること、死ぬことへの恐怖や諦め、生その物の発露ともいえる恋愛などが螺旋階段のように絡まりあって描かれ、とても魅力的な物語になっています。
さらにその底には我々日本人がこの国に生まれ育てば自然と身に着けてしまう無常観が見え隠れします。
例えば、みんな、通り過ぎていく、といったフレーズ。
地味で見落としがちな、しかし実は宝石のような輝きを持つ印象的な文章がそこここに散りばめられています。
私は50代半ばを迎えてやっと自分は物語作者にはなれないと言うことを思い知り、他人が紡ぐ物語を純粋に楽しめるようになった気がします。
それは寂しいようでいて、幸福なことでもあります。
若いうちは現状を打破し、飛躍しようと懸命になるのも美しいですが、加齢によってそれを諦め、現状を肯定して自分の人生を素直に謳歌できるようになるのもまた美しいような気がします。
諦めるということも、決して後ろ向きなことではないと感じさせられた、愛おしい、そしてある意味残酷な小説だと思います。