私が所属する職場は独立行政法人で、運営の大半を税金で賄われています。
毎年の予算規模は、ざっと30億円。
通常、いわゆるお役所仕事の悪弊で、何が何でも年度末までに使い切ろうとします。
そのために、まだまだ使える事務機器や事務家具を一斉に買い替えたり、馬鹿馬鹿しくももったいないことを続けてきました。
納税者の皆さまには全く申し訳ないことです。
よく政治家が、鼻血もでないほど無駄を削減するなんて演説しているのを見ると、笑うに笑えず、泣くに泣けない情けない気持ちになります。
使い切って当たり前で、年度を越えて残額があったらきつくお灸をすえられるのですから、資金難の民間企業からしたらとんでもない話です。
しかし予算の単年度主義は日本国憲法及び財政法で定められており、繰り越しは特別な例外を除き認められていません。
もう13年も前ですが、当時27歳の後輩が自殺したのは、年度末も押し詰まった3月半ばのことでした。
彼は予算執行事務を担当する平職員だったのですが、押し寄せる伝票の山、連日のように行う入札事務を前におかしくなってしまったのでした。
責任がある課長や部長ではなく、平が自殺に追い込まれるというのが切ないですねぇ。
で、昨年度、予算がわずか30億円の私の職場で、1億円弱の執行残が出ました。
一番忙しい年度末の3月に震災が起きて、しばらく仕事にならなかったことも影響がありますが、要は身の丈に合わない大風呂敷を広げて、結局事業を完遂できなかったというだけのこと。
しかし大風呂敷を広げて予算要求をするのは役人の本能のようなもの。
どうせ要求には査定が入るし、いざとなったら何にでも使っちゃえ、というコスト意識の欠如があります。
無駄遣いはやめましょうと言って、コピー用紙1枚までケチるよう指導しておきながら、それがため節約して予算を余らせたら、今度は過剰な要求をしたと怒られちゃうんですからやれませんねぇ。
年度の終わりに予算が余ったら、よく節約したと褒められ、残った分を国庫に返納するようにしないと、なかなか無駄の削減というのは難しいでしょうねぇ。
憲法改正しないとできないとか言う評論家がいますが、予算の単年度主義を定めた憲法の条文の解釈を変更すればいいんじゃないでしょうかねぇ。
内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。(憲法86条)
国の会計年度は、毎年4月1日に始まり、翌年3月31日に終わるものとする。(財政法第11条)
こんな素っ気ない条文に、日本国中の木っ端役人が踊らされているなんてねぇ。
解釈改憲は日本政府の得意技のはず。
赤字国債刷りながら、なんでもいいから予算を使い切ろうなんて頑張っている場合じゃありません。