一周忌

思想・学問

 今日は実家のお寺で亡父の一周忌法要が営まれました。
 密葬および本葬のときとは違い、親族だけでひっそりと行われ、法要後の会食もくだけた雰囲気が漂いました。

 遺骨は亡父の希望で歴代住職の墓ではなく、祖先が眠る小さな墓へと納められました。

 これでいよいよ父も安眠できるものと思われます。

 生命力の塊のような、力強く、教養豊かで、欲深だった亡父も、72歳ではかなくなってしまうとは、人生というものはわかりません。

 過去、人々は死について様ざまな思考をめぐらせてきました。
 わが国の神話では死後は黄泉の国に行くとされ、それは穢れでもありました。
 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三宗教では、やがて最後の審判の日が訪れ、すべての死者がいったん蘇って天国行きか地獄行きかの審判を受けるとされています。

 仏教では悟りを開けば輪廻転生を免れ、極楽往生できると説きました。
 それは後に発展し、日本仏教などの大乗仏教では、すべての衆生が救われると説くようになりました。

 とくに浄土真宗では、有名な「歎異抄」に見られる、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、と言って悪人正機説にまで高められました。

 悪人というのは犯罪者とかいう意味ではなく、深い信仰を持たない一般庶民ということです。

 すなわち、阿弥陀仏の本願はすべての衆生を救うことであり、信仰を持たない者までも追いかけて行って救ってくださるというありがたいお話で、浄土真宗が庶民の信仰を集め、日本最大の宗教教団に発展したことは故なしとしません。

 私たち人間にとって究極的に重大で、どうしても知りたい事柄は、死と宗教の話であるに違いありません。
 あらゆる学問は、一直線に死と宗教の問題に結びついていると言えるでしょう。

 父は謎めいた辞世の漢詩を残しました。

 あえてここでは記しませんが、およそ坊主が残すには相応しくない、あまりに人間的な、人生の不思議を嘆く内容です。

 私はこの辞世の解釈を、生涯かけて考え続けなければなりません。

 おそらくそれが、亡き父が私たち親族に課した最後の課題なのだと思います。

 亡父の冥福を祈ります。

新版 歎異抄―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
千葉 乗隆
角川書店

 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人文 ブログランキングへ