三好達治の詩に、「郷愁」という作品があります。
蝶のやうな私の郷愁!……。
蝶はいくつか籬(まがき)を越え、午後の街角に海を見る……。
私は壁に海を聴く……。
私は本を閉ぢる。
私は壁に凭れる。
隣りの部屋で二時が打つ。
「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。─ 海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」
海という文字には確かに母が潜んでいますね。
で、フランス語では、母はmere(メール)。
そして海はmer(メール)。
二つの言語で、それぞれ海と母が単語に組み込まれています。
母なる海、とかいう言い方は、万国共通のようです。(ただし、海に面している国の言葉に限って)
それにしても、「郷愁」というタイトルで海と母を登場させるとは、三好先生もお人が悪い。
そんことやられちゃ、ぐぅの音も出ません。
気持ち悪いですねぇ。
でも「郷愁」、人気あるんですよねぇ。
不思議。
それに比べて、教科書で習った「雪」は見事でしたね。
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
短い詩ですが、情景と同時に、何か幸せな冬を思い起こさせます。
しかしこんな詩を題材に、「家は何軒ありますか」だの、「太郎と次郎は同じ家で寝ていますか」だの、「登場人物は二人だけですか」だのと児童生徒に質問し、挙句の果てに「なぜそう思ったか理由を述べなさい」って、そりゃぁあんまりです。
そもそも正解なんてないし、そんな理が勝った方法で文学作品を教えようとは恐れ入りました。
きっと国語教師だってさらさら理解なんてしておらず、学習指導要領という名の教員向けのあんちょこに従っているだけでしょうに。
私は、文学作品、とくに詩歌の場合、一切解説は必要ないと思います。
しこたま読ませて、暗記させるくらいしか教授法はないと思います。
特に初等中等教育の場合、よけいな解説は不要です。
感じるままに読ませるしかありません。
高等教育の場合、まず学生に解釈させ、それに対して教員が批判すればよいのです。
ここでも、親切に、これが正しい解釈です、なんてやる必要はありません。
ゆとり教育も終わったことだし、これからは理不尽で不親切な、学生生徒が自ら勉強しなければ一歩も進めない教育を行ってほしいですねぇ。
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