今日も今日とて糞くだらない長い会議に時間を取られ、思うように仕事がはかどりませんでした。
民主主義社会、特にわが国のお役所のようなボトム・アップを旨とする組織においては、根回しだのに時間がかかり、さらにはシャンシャンで行きたい意思決定の会議でも馬鹿みたいに長々やるのが慣例となっています。
あらゆる関係者の合意を得るのは極めて困難なのに、それをやろうとするのは、不可能を可能にする努力を試みていると言うべきでしょう。
しかし、民主主義であれ、独裁であれ、おのれの利益を守るためにタフな交渉をすることは、まさしく不可能を可能にする困難な努力と言うべきでしょう。
私はこれまで、国策大学ともいうべき機関で、そもそも事業が成り立たない状態のなか、それでもお役目大事ということで、不可能を可能にする無駄な努力を続けたことがあります。
その働きは上司から褒められましたが、そもそもの政策が間違っているわけですから、無駄な努力に終わった、嫌な記憶です。
人間社会というもの、おかしげな判断を下す幹部職員が必ず存在し、それに異を唱えても、権限が無い以上、最後は明らかに間違った判断に基づく事業を遂行するために苦労しなければなりません。
人間社会というものが理不尽に出来ていることは明白ですが、今のわが国においては、様々な法律や規則によって、その理不尽を正す道が確保されています。
ただ、多くの末端職員は、それらの社会資源を使うことをまるで大層な反則のように思い込み、声を挙げません。
しかし私は、法や規則や社会資源に基づいた方法で、正しく、阿呆な上司を追い詰めることを得意としています。
その時は爽快感を味わえますが、たぶんそのせいで、長いこと職階が上がらないんでしょうねぇ。
もっとも今の私には、そんなことはどうでも良いことですが。
職階が低くても、私は今の職場で誰よりも高い能力を持ち、着実に仕事をこなしていることは明白なのですから。