冷たく、細かい雨が断続的に降り続く土曜日。
お昼を食べに近所のイタリアンに行ったほかは、家で一日大人しくしていました。
昼寝をしたり、ネットで遊んだり。
たまにはこういう土曜日があっても良いでしょう。
同居人は昨夜職場の忘年会で飲みすぎたようで、これ幸いと寝てばかりいました。
こんな日は、あまり良い考えが浮かびません。
過去のものとなった精神障害のこと。
今も根強く職場に残る病気差別。
普段はそんなこと気にしない、と強がって日を暮らしている私ですが、弱気の虫が頭をもたげます。
このまま寛解の状態で生きていけるのか、職場はいつまで私を病人扱いするのか?
また、人生も折り返しを過ぎて、老後のことは大丈夫か?、といったことどもです。
いわば生きている以上永遠につきまとう不安の種ですね。
不安の種を心中深く宿しながら、それでもその日その日を暮らしていかなければなりません。
それは60億の人間がいれば、60億とおりの不安であることでしょう。
私は60億分の1として、お釈迦様が言うとおり、己と仏法だけを頼りに犀の角のようにただ独り、歩まねばなりません。
それが人の常なのだとしたら、人間はまさしく群集の中の孤独を生きる乳飲み子のようです。