不安や憂鬱といった負の感情は、私にとっては最も親しいものです。
それは何も、35歳でうつ病を発症した時に始まったわけではありません。
思い起こせば、小学校の頃も、いや、幼稚園ですら、毎日通うのが不安で憂鬱で仕方なかったように覚えています。
思春期の頃は、対人恐怖的な感情に支配された時期もありました。
それは成長するとともに自然に良くなりましたが、不安や憂鬱が消えることはありませんでした。
そんな私の思い癖が爆発したのが、うつ病の発症だったのだろうと思っています。
今、うつ病から双極性障害になり、毎日服薬しているため、不安や憂鬱に押しつぶされそうになるようなことはありませんが、ぼんやりとした不安や憂鬱は、いつも心の底に沈殿しています。
それは大きくなったり小さくなったりしながら、決して消え去ることは無く、私を苦しめます。
これは多分持って生まれた気質で、変わることはないんだろうなと感じています。
オランダやベルギーなどでは、安楽死が認められています。
それは肉体的、精神的な重度の病気でなくても、本人が生きていること自体に絶望し、死ぬ以外に生きていくという苦痛を取り除くことができない、という場合にも認められ、実際に、肉体的、精神的に健康と診断されながら安楽死が認められたケースがあると聞きます。
多分、私が抱えているような不安や憂鬱が、私なんかよりもはるかに大きい場合、安楽死が認められるのだろうと思います。
私はうつが激しい時、自殺願望にとらわれていましたが、実際に自殺を試みたことはありません。
せいぜい身辺整理をしたくらいです。
今は死にたいなんて全く思いません。
してみると、安楽死を望む健康な人が抱える闇の深さは想像を絶するものがあります。
それほどの闇を抱えていなくて良かったと言うべきでしょう。
多かれ少なかれ、不安や憂鬱は生身の人間にはつきものの感情なのでしょうから。
私はこの気質と付き合いながら、生きていくほかなさそうです。