大型連休に入っていますが、私はカレンダーどおりなので、月曜日は出勤です。
出勤、そして仕事というのは、誰にとっても大きなストレスだと思います。
私は若いころ、サラリーマン生活も年を取ればどこかで頓悟し、気持ちが楽になるのだろうと思っていました。
しかし30年を過ぎても、頓悟するどころか、ますます不安は増し、プレッシャーに押し潰されそうになることがよくあります。
そんな時、過去の成功体験は何の役にも立ちません。
経験による知恵も、無駄です。
いつも明日のこと、明後日のことが不安でなりません。
私はうつを抑える薬や、逆に躁を抑える薬など、多くの精神病薬を飲んで、やっと平静を保っている状態です。
その中で、即効性があるのは、抗不安薬という種類の薬です。
昔は精神安定剤と呼ばれていたと聞きました。
これを飲むと、ゆるーく効いて、まったりとした気分になります。
しかし不安の種を摘み取る薬ではありませんし、そもそもそんな薬は存在しません。
目の前にある不安の種=困難な仕事をなし遂げなければ、平穏は訪れません。
ただし、目の前にある不安の種を解決したところで、間を置かずに次の不安が押し寄せます。
まるでイタチごっこです。
もしかしたら不安こそ、人間精神の本質なのではないかと思います。
不安は仕事を完璧にこなしたい、という欲望の裏側。
楽しみと痛みは裏と表でついて回ります。
仕事をして飯を得るということを何十年も続けて、やっと老後を迎えたら、体のあちこちに不具合を生じ、最後は冷たい石の下というわけですから、人生なんて素っ気ないものです。
あるいはこの心境が頓悟でしょうか。
不安はあって当たり前、人生は苦しくて当然、そう心の底から思えた時、という。
しかしそれでも、人間というもの、楽を求めます。
思えば今まで、異動により色んな職場を経験し、ある程度職階も上がりましたが、ただの一度も気楽な部署というのはありませんでした。
異動しなければしないで、職場が変われば変わったで、種類の違う地獄を味わうことになります。
血の池だったり、賽の河原だったり、針の山だったり。
これでは何のために生きているのだか分かりません。
満男が寅さんに「人間何のために生きているんだろう?」と、根源的な問いを浴びせた時、寅さんは「人間何遍か、あぁ生まれてきて良かったと思うことがあるじゃない。そのために生きてんじゃないか」と応えます。
一種の人生哲学ですね。
これを頓悟と呼ぶのだとしたら、人生はまさに不安と苦しみの中で嘆き苦しみながら、時折感じる至高体験を求める、みたいな切ないことになってしまいますね。
当分、私は不安、苦痛、恐怖から逃れることはできないようです。