不感

文学

 近頃偽装結婚というと、外国人が日本国籍をとるために行うものというイメージが強くなりましたね。
 しかし以前は、同性愛者であることを隠すために男性同性愛者と女性同性愛者が行うという印象が強かったように思います。

 江国香織の小説に、「きらきらひかる」という作品があります。
 アルコール依存症の女と同性愛者の男がお見合いをし、なぜか意気投合して互いの秘密を知った上で奇妙な夫婦生活を始めるというものです。
 これに夫の恋人である男が加わり、三人の生活はますます奇妙の度合いを深めていくのですが、作者独特の感性が、この難しい題材を瑞々しく描いて秀逸です。
 
 後に映画化もされ、夫を豊川悦司が、妻を薬師丸ひろ子が、夫の恋人を筒井道隆が演じて、どこか乾いた印象を与えました。

 同性愛者同士の男女が結婚する場合、互いにメリットがあると思いますが、この小説では女はアルコール依存症というだけで異性愛者であり、同性愛の男と結婚することは、ほとんど無意味なことであるように思えます。
 しかし、子どもが欲しくないとか、そもそも性交渉に拒否感があると言う場合には、その限りではないでしょう。

 三島由紀夫「沈める滝」という小説があります。
 これは石などの無機質な物を愛し、女性と付き合うのは単なる肉欲の満足のためだけという美青年が、ある女を愛することになるのですが、それはその女が不感症であって、生身の無機的物質であるがゆえである、という内容です。
 いわば生身の女に人工物を感じ、人工物への愛と、自然の情から湧き出る愛情の葛藤を描いて、この作品自体が人工美の極致ともいうべきものです。

 私は子どもの頃から石などの無機物に惹かれ、動物や植物に、それが生きているだけに不潔感を覚え、これを嫌悪しないわけにはいきませんでした。

 性交渉というのは、考えてみれば不潔の極みのようなところがあります。
  黴菌の塊のような肉体と肉体を密着させ、いわば黴菌のやりとりをしているようなもの。
 その不潔の極みを行わなければあらゆる動物が子孫を残せないとは、いかにも面倒な話です。

 私は精神病を患ってから、ほとんど性欲というものを覚えなくなりました。
 しかしそうなってみると、人間関係というものがじつにシンプルで、清潔なものに感じられます。
 男も女もない、人間だけがあるということの快適さを、今、感じています。

 究極のところ、人工美というものは、そうした清潔感の上にしか、成立し得ないのではないでしょうか。

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沈める滝 (新潮文庫)
三島 由紀夫
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