世界の終わり

社会・政治

 人間社会というのはしぶといもので、過去に何度も自然災害や戦災にあいながらも、今なお存在しています。

 しかし、近くは東日本大震災、その前には原爆投下や東京大空襲に被災した人々は、世界の終わりを予感したことでしょう。

 歴史に残っている災害で、被災した人々が最も世界の終わりを感じたのは、火山の噴火により町がまるごと埋没した、西暦78年の今日起きたとされる、ポンペイ最後の日ではないでしょうか。

 18世紀に発掘され、その姿が明らかになった時、人々は衝撃を受けたでしょう。
 すぐに小説に描かれました。

ポンペイ最後の日
渡辺 秀
サンパウロ

 後には、何度も映画化されました。 

ポンペイ最後の日 CCP-201 [DVD]
プレストン・フォスター,ベイジル・ラスボーン
株式会社コスミック出版

 世界遺産となった今、お金を払えばその町並みを歩き、見物することができます。

 当時、世界は狭く、地球の裏側に全く異なる文化を持った人々が存在していることなど知らず、そもそも地球が丸くて裏側があることさえ知らないわけですから、自分たちの町が土に埋もれてしまうということは、とりもなおさず世界の終わりを意味したでしょう。

 不思議なことに、世界の終わりという観念には、人を浮かれさせる作用があるらしく、ハリウッドなどは世界の終わりを描いた映画を量産して喜んでいます。

 わが国でも、自殺的攻撃=特攻や籠城など、自滅を美とする美意識が、今も根強く残っているように思われます。

 団塊のじいさんたちが、愚かにも全共闘運動を懐かしむのも、安田講堂占拠など、籠城に近いことをやって、結局は自滅していったことに、浪漫的な美を感じているのではないかと邪推したくなります。

 桜をことさら愛でるのも、その儚さと散り際の見事さゆえでしょう。

 しかし、冒頭でも記したように、世の中はしぶといもの。
 ある一族郎党が自滅しようと、町が土に埋もれようと、災害で多くの人が亡くなろうと、生きている者たちによって力強く蘇るものです。

 戦後のわが国の軌跡を見ればそれは明らかでしょう。

 わが国は大きな戦に敗れ、外国の軍隊によって占領され、7年もの長きにわたって国家を失いながら、たくましく復興を遂げ、有色人種国家としては唯一、戦前の帝国主義列強とほぼ同じメンツのG7に迎えられたのですから。

 いずれ人類は滅びるでしょうし、地球そのものも消えてなくなるのでしょうが、それは人間の想像を超えたはるか未来のこと。

 そしてきっと、ある生物が滅びるのも、ある星が消滅するのも、宇宙的規模で眺めればよくあることなのだろうと思います。

 人智を超えたことに怯えても仕方ありません。

 世界の終わりという観念に浮かれたり、自滅に美を感じたりすることは我慢して、世知辛い世の中をどううまく立ち回っていくかを第一に考えるしか、幸福を得る道はありますまい。

 味気ない生き方ではありますが。

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