両性具有

思想・学問

 先日、縁ある人の葬儀に参列しました。
 齢94の大往生。
 葬儀に湿っぽい雰囲気はなく、むしろおめでたい感じでした。
 
 そこで思ったことは、日本国憲法が高らかに宣言した男女平等の原理は、今だに建前に過ぎないのだな、ということです。
 喪主は長男。彼には姉がいますが、姉は喪主になりません。
 宴席では、年長の男が上座に座り、年齢順に男が座り、老婆でも一番若い成人男性より下座です。
 久しぶりに見た、家父長制の残滓とでもいうべき光景。
 私はむしろ、新鮮な驚きを感じました。

 人間は不平等なもの。
 性差別や部落差別、障害者差別が完全になくなっても、生まれた家が金持ちか貧乏か、両親が円満か不仲か、健康に生まれるか虚弱に生まれるか、頭脳明晰に生まれるか知能低く生まれるか、など、どちらが幸せかは別にして、生来の不平等は如何ともなしがたいものです。

 だからこそ、社会制度としての差別はなんとしてでも解消しなければなりません。
 その中でも古来、多くの民族で等しく見られるのが、男女差別です。

 戦後、少なくとも公の場では、男女差別は無いことになりました。
 家父長制から平等主義へ、大きく舵を切ることになりました。
 しかし家庭内や伝統的コミュニティーに目を向けると、現在もなお、男尊女卑の風潮が残存しています。

 自民党保守派などが言い募る選択的夫婦別姓制度反対や、男系男子による皇位継承へのこだわり。
 私には馬鹿馬鹿しいとしか思えません。
 底にあるのは男女不平等の意識。
 夫婦が別姓だと家庭が崩壊するとか。
 そう思えば同姓を選択すればよろしい。もっと言えば、その程度で崩壊する家庭は何をやっても崩壊するでしょう。
 別姓を希望するカップルに同姓を強制するのは傲慢です。
 
 皇位継承も理解不能です。
 女系だと何が不都合なんでしょうか。
 過去、例がない、ということなら、何事も初めてというのはあるので、新しい例として女系男子でも女系女子でも他に候補者がいなければ皇太子にすればよいでしょう。
 皇室は仏教の受容や明治維新など、過去何度も、伝統破りをやってきています。南北朝の争乱では、二人の天皇が同時に存在する、という珍現象が約60年も続きました。
 むしろ伝統にこだわらないから生き残った、とも言えます。

 どうしても男系男子というのなら、側室を何人ももらって、男児出生を期するべきです。
 
 万世一系とよく言いますが、折口信夫によれば、大嘗祭の際に大嘗宮で一定時間寝れば御稜威(みいつ)と呼ばれる天皇の魂が大行陛下から新帝に乗り移り、皇太子は新天皇になる、ということです。
 この儀式を経れば魂が乗り移って天皇になるのだから男でも女でも女系でもよい、と万世一系の解釈を変更すれば男だろうが女だろうがオカマだろうがなんだっていいんじゃないでしょうか。

 私は、社会的には男でもあり女でもある男と、女でもあり男でもある女がカップルを構成することが、現憲法の精神に最も合致するものと考えます。
 肉体的にはともかく、社会的な両性具有者同士のカップル。
 これが変幻自在に男性的役割と女性的役割を果たしていけば、世の中はより生き易くなるのではないでしょうか。

折口信夫の戦後天皇論
中村 生雄
法蔵館

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