昨夜、平成19年に中国から日本に帰化した評論家の石平先生の著作、「私はなぜ中国を捨てたのか」を読みました。
少年の頃は猛烈な毛沢東崇拝者で、1980年代の学生時代は民主化運動に身を投じ、天安門事件の時は日本に留学中だったために難を逃れ、天安門事件以降、急速に反日教育を始め、天安門事件を正当化する中国共産党に嫌気がさし、ついには日本に帰化するに至った、ということが時に激しく、時に感傷的な筆致でつづられています。
前半においては中国共産党に対する批判、いや、非難、いや、悪口雑言が書き連ねてあり、いささか冷静さに欠けるように感じました。
批判の対象が中国共産党だというだけで、日本軍国主義の復活という虚構を信じ込んで非難する中国人民とよく似ています。
まずは文化大革命を批判し、次いでせっかく民主化がすすめられた改革開放時代も天安門事件という大虐殺で終わりを告げ、なぜかそれまで民主化及び近代化のお手本とすべきだと考えられていた日本を敵視し、ついには日本が再び軍国主義化し、中国を攻めて来ることは間違いない、という虚構を、多くの若い中国人が信じているという驚愕の事実を批判しています。
1988年に日本に留学する時、中国人の対日感情は概ね良好だったそうです。
ところが1997年に一時帰国した際には、大学生の甥が激しい反日感情を顕わにし、日本で生活する石平先生を非難し、日本が攻撃してきたら必ず戦う、と勇ましいこと言い、さらには天安門事件の処理は適切だった、と言い放ち、中国共産党の指導のおかげでこれまで日本の軍国主義者は中国を攻めることが出来なかった、などというファンタジーを口にしたそうです。
若い人は江沢民政権下の徹底した反日教育によって、心の底から日本を憎んでいるかもしれませんが、老人はそうではないと思います。
文化大革命ではインテリなどの反革命分子、改革開放政策が始まった時は四人組などが敵視され、今度は日本軍国主義か、やれやれ、と言ったところでしょう。
しかしお上に逆らっては生きていけないとばかり、口では反日めいたことを言うのだと思います。
哀れなものです。
著作の後半は、日本人及び日本文化に対する愛着がつづられます。
まず、やさしい、にあたる言葉が中国語には存在せず、しかし日本人は概ねやさしいとしか言いようが無い人々であり、感情的になることが少なく、冷静である、と日本人の気質を褒め称えます。
次に中国では完全に廃れてしまった「論語」や漢詩、大乗仏教の精神が日本では生きており、日本ほど礼を重んじる人々はおらず、孔子の教えが自国ではなく、隣国で生き残ったことは奇跡である、と論じます。
さらには京都で見た美しい寺や神社を褒め、工業技術が先進的であることを褒めと、贔屓の引き倒しで、これもなんだか中国共産党を褒め称える若い中国人とよく似ているなと感じました。
日本などの自由主義国家では、1960年代が政治の季節と呼ばれたのに対し、中国では1980年代の改革開放政策やそれに伴う民主化運動が政治の季節であったようです。
まさにその時代に学生であった石平先生にとって、改革開放を推し進めたはずの小平が、自らの権力に脅威であると見るや、躊躇することなく学生たちを虐殺したことがどうしても許せず、積極的に中国系日本人になることを決めたというより、とりあえず日本で生活していたので日本に帰化したのではないでしょうか。
で、日本人になると決めてから、自らの選択に間違いは無かったと信じるために、日本及び日本人をべた褒めし、中国を貶しめるような発言を繰り返しているようにお見受けします。
いずれにせよ、中国共産党の犠牲者の一人でしょうねぇ。
生まれ育った愛する祖国を捨て、あまつさえその祖国の悪口を新聞に書いたりテレビで発言したりなんて、誰だってそんな行動を喜んでするわけがありません。
今の中国には怨み骨髄なんでしょうねぇ。
天安門事件の時、その場にいた仲間は大勢殺害されたそうですから、日本に留学していて本当に良かったですねぇ。
これからも中国系日本人として、愛国心を涵養し、お国のために働いてほしいものだと思います。
![]() | 私はなぜ「中国」を捨てたのか (WAC BUNKO) |
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