予感

その他

 同居人と出会ってから32年、結婚してから25年が経とうとしています。
 楽しい時を一緒に過ごしてきました。

 その間、ずうっと続いていた同居人への不満は、彼女が極めて自己肯定感の低い人だということです。

 私は男であれ女であれ、傲慢なくらい自信に満ち溢れた人を信用する傾向があります。
 なぜなら私が傲慢だからです。

 自己に自信が持てなくて、なぜ人を尊重することができるでしょうか? 
 自分が掛け替えのない存在だと思うからこそ、他人もまた同様に、それぞれに掛け替えの無い人だと思うことが出来るのです。

 だからこそ、自信が無い人や自己卑下をする人が嫌いなのです。
 他のことはともかく、同居人の自己卑下や自信の無さは、私にとって耐えがたいものでした。
 もちろん、他に美点があまたあるからこそ、今まで大過なく一緒に暮らしてきたことも事実です。

 私が時折そのことを指摘すると、彼女は必ず親に恵まれなかったと言います。

 真っ当なサラリーマンと専業主婦の奥様、二人に大事にされながら何をほざいているのかと思ってきました。

 しかし義父が亡くなり、義母が施設に入所するにいたり、彼女の母親はいわゆる毒親だったのだと気付かされました。

 平日の夜は毎晩1時間以上の電話、休みの日にはひっきりなしに電話をかけてきます。
 何回聞いたか分からない昔話を何度も繰り返し、ちょっとでも同居人が返事をしただけで、黙って話を聞けと激昂し、育ててやった恩を忘れたのかと毒づきます。

 買い物にでも行ってわずかばかり留守にすると、必ず留守電が点滅しています。
 「今、どこにいるのかなぁ、お母さん、こんな娘を持って寂しい」などとメッセージが入っています。

 同居人は一歩も外へ出ず、電話を待っていろ、とでも?

 同居人には誠に申し訳ございませんが、義母一人のために私たち夫婦の仲は険悪になりました。
 私にはなぜ同居人が実の母親の言いなりにならなければならないのか分かりませんし、同居人は毒親を持った娘の気持ちが分からないのかと私を責めます。

 子供が出来なかったのは幸いだったのかもしれません。
 子供がいれば、離婚の妨げになるでしょう。

 私は今、遅すぎた別れの予感に打ち震えています。