今朝は小雨が降ってじめじめしていましたが、晴れてきました。
昨日ほど暑くもなく、まずまずの一日だったのではないでしょうか。
五月雨の 雲まの月の はれゆくを しばし待ちける 時鳥かな
「新古今和歌集」所収の二条院讃岐の歌です。
五月雨というと五月の雨を思い浮かべるかもしれませんが、旧暦は現在の暦と一ヶ月半くらいずれていますので、これはちょうど梅雨どきの雨を指す言葉です。
梅雨どきの雨がやんで晴れてきて、月が出るのをホトトギスが待っている、というほどの意でしょうか。
五月雨に 花橘の かをる夜は 月すむ秋も さもあらばあれ
「千載和歌集」に見られる崇徳院の歌です。
梅雨どきの雨が降る中、橘の花が香る夜。こんな夜には、月が曇りなく輝く秋さえどうでもよいと思える、といったほどの意と思われます。
梅雨というとじめじめして不快だ、というのが現代人の常識であり、冷房の効いた部屋で快適にのんびり過ごしたい、というのが大方の意見でしょう。
しかし空調が普及したのはここ数十年ばかりのこと。
圧倒的に長い間、日本人は風鈴の音に涼を求めたり、襖や障子をすだれに代えたりして、過酷な夏を乗り切ってきました。
それがつい7~8年くらい前までは、オフィスでも電車でも劇場でも寒いくらいに冷房を効かせ、クーラー病なんて言われる現代病を生みだしたりしました。
それがここ数年は、クール・ビズということで、冷房を弱くして服装などで調節しようという動きになってきました。
まして今夏は震災の影響で電力不足に陥る危険性が高く、例年以上に空調を控えようという話になっています。
古人の和歌などに接すると、昔の人々は暑いものは暑いと諦めて、その暑さの中に風流を求めたことがわかります。
実際には我慢ならないほど暑かったと思いますが、雅な公達は、やせ我慢をして涼しい顔を演じていたのでしょうねぇ。
空調によって、真夏でも高原の避暑地にいるような快適さを実現した私たち。
それを捨てることはもはや不可能ですが、今年は種々の状況に鑑み、古人が過ごしたであろう夏の過ごし方を学びたいものです。
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