3月5日に父が亡くなってからもうすぐ4ヶ月。
食事制限も運動もしていないのに11キロも落ちてしまいました。
それは良いでしょう。
内科医に褒められていますから。
しかし亡父の蔵書に接するほど、私の心は千々に乱れます。
マルクス全集があったかと思えば茶の本があり、ウェーバーの著作が揃っていたかと思うと漢詩全集や「日本の詩歌」があったりします。
私は父を、思想的には朝日新聞みたいな人で、しかし坊主だから仏教を始めとする東洋思想に強い人と、決めて掛かっていました。
父の膨大な蔵書の山を前にして、私は父が何者であったのか分からなくなりました。
浅草の高給寿司店からバーへと、差しで6時間も語り合ったとき、亡父は私の話を聞こうとして、多くを語りませんでした。
うつ病で長期休暇を取っているとき、奈良や京都に連れ出してくれましたが、やはり亡父は、多くを語りませんでした。
語りつくせぬまま、逝ってしまいました。
私は今、亡父を叱っています。
なぜもっとおのれをさらけだしてくれなかったのか、なぜもっと自分の思いを語らなかったのか、と。
亡父は私の著作やブログを読んで、私の才を愛でてくれていたようです。
また、亡父の頼みに応じて、あいさつ文などを代筆したこともあります。
しかし最も聞きたかったことは、ついに語らず終いでした。
私が最も聞きたかったこと、それは亡父が人生をどうとらえているのか、それ一点につきます。
しかしそれは、亡父の私に対する最後の教育だったのかもしれません。
そんなことは自分で考えろ、とでも言うように。
亡父は辞世の漢詩を残しました。
返り点も無い、素の漢詩です。
おそらくそれをすらすらと読めるのは、親戚中で、国文科卒の私だけ。
私はそれを読み下し文にして、通り一遍の解釈をほどこして親族に見せました。
しかし私は、今もその漢詩を前にして、何か仕掛けがあるのではないか、何か暗号があるのではないかと、呻吟しています。
亡父の亡霊は、確実に私を悩ませています。
それは意図してのことではないでしょうが、あまりに巨大な人物であっただけに、私はその亡霊と対決しなければならないのです。
私がそれを克服することは、生涯、ありえないでしょう。
私は生涯かけて、亡父の放った謎に挑み続ける他ありません。