わが国では、七つまでは神のうち、などと言って、子供は一人前の人間ではなく、神に近い存在ととらえられていたようです。
同時に、老人、わけても男の老人もまた、もはや人ではない、神に近い存在と考えられていました。
その尊称が翁であり、能楽などでは特に重要な存在とされています。
猫も長生きすれば猫又というこの世ならぬ存在になりますし、狐もまたしかり。
九尾の狐なんていうのも、信じられないくらい長生きし、妖狐の最終形などとも呼ばれます。
現代においては、年をとっても若々しく活動的な老人が良しとされますが、それは自然の摂理に反するというものです。
肉体労働などは不可能になり、頭も弱くなってくるのですから。
尊称ではないながら、例えば90歳を過ぎて元気だった岸信介元首相は、昭和の妖怪と呼ばれました。
さしずめ中曽根元総理などは、平成の化け物でしょうか。
年を重ねるということが、その人を人ではない化け物もしく神に近い存在へと変貌させるのだとしたら、長く生きるということは、とてつもない偉業に思えてきます。
先日、職場の先輩が53歳で急死しました。
心筋梗塞だったようです。
先輩はついに翁に変じることなく、この世を去りました。
早死にすればそれだけ人生の苦労を背負わなくて良い、とうつ状態の時、私は考えていました。
今はそうは思いません。
いかなる困難をも克服し、翁に変じ、人間であった時には見えなかった景色を眺めてみたいと思っています。
もしかしたら、単に年を取っただけで、見える景色など何も変わらないのかもしれませんが。
そして私そっくりの思考パターンを持つ人工知能が生まれるまでも長生きし、死後はその人工知能にブログ更新を任せたいと思っています。
そうなれば、私はこのブログ上で、私の死を知られることなく、永遠に生き続けることができるでしょう。
大それた野望かもしれませんが、おそらく時代はその一歩手前まで来ていると思います。
人工とびおの活躍が今から楽しみです。