人間(じんかん)何年?

思想・学問

 今日から師走ですね。
 平成26年(2014年)も残すところ、ちょうど一カ月となりました。

 早いもので、とは言いますまい。
 一つ一つを思い起こしてみれば、とてつもなく長い年月で、そもそも一年前、私は別の部署に座っていたことを思えば、隔世の感があります。

 よく世間の人は、特に中高年は、年月の流れを、あっという間と表現しますね。
 私にはその心性が理解できません。
 私には、年月の流れは、常に牛歩の歩みのように思われ、もどかしくさえ感じます。

 私は今40代半ばを迎えましたが、かつて人間(じんかん)五十年という言葉があり、人の世にいられる期間は五十年くらいと考えられてきました。

 そうであるなら、40代半ばは老人ということになりましょうか。

 しかし栄養状態が良くなり、医学の進歩もあり、人間(じんかん)は80年にもなろうとしています。

 下手をするとそれは90年にも100年にもなる可能性があり、私はまだ半分も生きていないのかもしれません。

 実感としては、結構長く生きたような気がするのですがねぇ。

 行きつけの薬局では人生ゲームのようなポスターが貼ってあり、それによると60歳が総合的な判断力が最も優れているそうです。
 そういえば各国の首脳も60歳前後が多いようです。

 寿命がどれだけ延びたにしても、頭がしゃっきりして体が動くのには限界がありましょう。
 少子高齢化で年寄りばかりになるのも社会を停滞に導くでしょう。
 かといって姥捨てというわけにはいきませんから、それぞれの高齢者が、出来る限り健康に留意し、仕事でもボランティアでも趣味でも良いですから、社会と繋がりを持つようにすることが肝要かと思います。

 私は定年を迎えたら、再雇用など希望せず、小遣い稼ぎ程度の事務補助を探し、増えるであろう自由時間を使って、深く国風の耽美的世界に漬かって生きられたら、と願っています。

 人の世にいつまでいられるのか分かりませんが、それはあまり長すぎないほうが自分にも社会にも良いような気がしてなりません。

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