日米開戦三ヶ月前の御前会議において、昭和陛下は祖父である明治天皇の御製、
よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の 立ちさわぐらむ
を読みあげられたと伝えられます。
従来、開戦を憂慮し、暗に開戦に反対の意向を表明したものだと解釈されてきました。
しかし、近年、某近現代史家の発表によると、当時会議に出席していた近衛文麿ら複数名のメモから、昭和陛下は波風を、あえて仇波(あだなみ)と読み替えられた、と主張しているそうです。
よもの海 みなはらからと思ふ世に など仇波の 立ちさわぐらむ
と、なります。
そうだとすると、まるで意味が異なってきます。
仇波と読み替えられたというのが本当なら、日本人は平和を希求しているのに、なんだってまた敵は騒ぎを大きくするのじゃ、これでは戦を避けようがないではないか、と慨嘆しているような印象に変わってきます。
昭和陛下が開戦を望まず、外交努力によって日米間の対立を解消したいと願っていたことは間違いないでしょう。
しかし、全く日本の言い分を聞こうとせず、一方的に要求を突きつけてくる米国に苛立っていたであろうことも、想像に難くありません。
大御心が奈辺におありであったのか、私には当然分かりません。
国民の多くがもやもやした状態に嫌気がさし、いっそ開戦を望んでいるらしいことも、米国は容易に勝てる相手ではないこともお分かりであったことと思います。
そのような鬱屈が、平和を望んでいるからこそ、相手への苛立ちとなって、あえての読み替えとなったものと思われます。
これを聞いた時、おそらく御前会議の出席者たちは、ついに陛下が腹を括られた、と感じたことでしょう。
それにしても過去というもの、ほんの70数年前のことも、真偽のほどは分からないのですねぇ。
してみると、邪馬台国論争など、馬鹿馬鹿しくも感じます。
はるか古代のことなど、そう簡単に判明しますまい。
歴史研究ということの虚しさを痛感しますねぇ。