今日、安倍総理が伊勢神宮を参拝されました。
同じ神社でも、靖国神社にお参りするのとは大違いで、中国も韓国も関心を示しません。
天照大神をはじめとするわが国の神話に基づく神々を祀る神社と、戊辰戦争後の軍人・軍属を祀る神社とでは、当然、性格が異なります。
もし、わが国びとの心のふるさととでも呼ぶべき伊勢参拝を批判されたなら、日本国中、黙ってはいないでしょう。
もともと靖国神社は、軍人・軍属の犠牲者を英霊として祀り、感謝の誠を捧げるため、国が直轄する神社として生まれた、新しいお社です。
それに比べて、伊勢神宮は正式名称が神宮だけというくらい、神社といえば伊勢神宮を指すほどの存在で、いったいいつ誰によって創建されたのかさえ、定かではありません。
日本人が日本人であると自覚する以前から存在していたのでしょう。
その伊勢神宮にお参りすることが批判されないということは、日本が日本たるべき所以の物までを批判する気はなく、単に近代以降敗戦までの日本を批判することを主たる目的として、政治家の靖国参拝を批判しているというわけで、そこには大日本帝国時代のわが国を特異な存在とする考え方があるように思います。
国家が国のために犠牲となった霊を鎮めるための施設を持つこと自体は、どこの国でも見られる普通のことですが、神社という日本独自のスタイルをとったことと、いわゆるA級戦犯を合祀したことが問題となっているようです。
神社というスタイルをとったのは、素朴に生き残ったシャーマニズムとしての伝統が、仏教寺院やキリスト教会よりもわが国に相応しかったからで、これを批判するのは当たらないし、事実、中国も韓国も国家神道は否定しても、神道そのものを否定してはいません。
すると、もし中国や韓国に悪意がないとすれば(私はあると思っています)、A級戦犯を合祀したことだけが問題になるはずです。
しかし、東京裁判は勝者が敗者を裁くという不当なもので、わが国は独立を勝ち得た後、国会が全会一致で全ての戦犯の名誉回復を行っています。
これにより、わが国の理屈で言えば、戦犯はもはや存在していないことになりました。
東京裁判が正当なものだと仮定しても、わが国には敵味方供養という伝統があるくらい死者に寛容で、ましてわが国のかつての指導者を供養しないという法はありません。
特に不思議なのは韓国で、中国は曲がりなりにも連合国の一員として大日本帝国と戦っていましたが、朝鮮半島は当時日本が支配しており、日本の一部として枢軸国側に立って連合国と戦っていたのではないでしょうか。
それを大日本帝国に強要されたと言うのなら、大日本帝国の支配下におかれた己を恥じるべきでしょう。
当時、世界の常識は弱肉強食。
植民地を持つ帝国主義列強に名を連ねるか、甘んじて植民地支配を受けるか、それはその国の力の問題です。
で、わが国は有色人種の国家として唯一、帝国主義列強に名を連ねました。
21世紀の常識で当時の国家の行動を断罪しても、意味が無いことです。
誇り高い侍の国が、植民地に甘んじていられるわけがありません。
すると、A級戦犯を合祀したことをもって靖国参拝がこれほど問題になるのは、中国や韓国、さらにはわが国の一部マスコミなどが、わが国を貶めるために無理やり始めたネガティブ・キャンペーンだと言うのが本当だろうと思います。
悲しいことですね。
慰霊くらい、静かな環境で心穏やかに行いたいものです。