恥ずかしながら今日まで知りませんでした。
黒船来航の11年も前に、幕府はこのことあるを予想して館山などの東京湾への入り口に砲台を設置していたのだそうです。
黒船来航というと、唐突にやってきて、幕府も朝廷もびっくり仰天して上を下への大騒ぎをしたような印象をもっていましたが、鎖国中とは言いながら、幕府は海外の状況を知っていたのですねぇ。
そしてペリーが一年後にまた来る、と言ってとっとと帰ってしまった最大の理由は、伊能忠敬が作成した日本全図を見たからだとか。
当時アジアの国々が作る地図というのは、なんだかぼんやりしたもので、精確ではなかったのに、伊能忠敬の作った日本地図は極めて精巧にできており、戦争になれば精確な地図を持っていることは絶大な威力を発揮することを知っていた軍人であるペリーは、このような技術を持った国がアジアに存在していたことに驚くとともに、軍事力も強いのではないかと勘繰り、ひとまず引き上げたそうです。
伊能忠敬、Good Job!
しかし幕府は幕府で、現れた黒船を見て、想像を絶する巨砲を備えていることに驚き、館山などの砲台ではとても太刀打ちできないことを悟り、当面の危機を回避するために講和条約締結に向けて大きく舵を切ったというところが本当のようです。
幕府もペリーも相手を侮っていたのですねぇ。
そしてまた、たちどころに相手が強力であることに気付くあたり、両者とも冷静であったのですねぇ。
外交の要諦は、幕末の昔から今にいたるも変化していません。
手だしをしたらひどい損害を被るかもしれないと相手国に思わせることは、自国に有利に交渉を運ぶ有力な手段です。
古い言い方かもしれませんが、棍棒を握った左手を背中に隠して、作り笑顔で右手で握手しあうということになりましょうか。
和戦両様の構えを維持し続けなければ、結局外交で失敗してしまうということですね。
今、日中は鋭く対立していますが、わが国は米国の助けを得ながら海上自衛隊や海上保安庁の船が中国艦船をけん制しつつ、しかし話し合いを求めています。
人間というのは進歩しないものですねぇ。