休暇

社会・政治

 今日も忙しかったですねぇ。
 残業は避けましたけど。
 なんとか一段落して、明日は凪の日なので、急きょ休暇を取ることにしました。

  忙中閑あり。 

 心が疲れたら、すぐ休む、これによって、病気を悪化させることなく、したがって長期に休むことを防止できるというわけです。

 昔は休暇を取ることが罪悪のように思えたものです。
 不思議ですねぇ。
 今ではまったくそういう意識はありません。

 過労死という言葉は、KAROSHIとして世界語になってしまったそうですね。
 不名誉なことです。
 死ぬほど働くなんて言いますが、本当に死んでしまってはたまったものではありません。

 私が推測するに、荷重な労働を行うについては、それをこなさなければ自分に価値がないと思われたくない、あいつは組織によく貢献していると思われたい、という他者からの自己肯定の欲望を抱いているのではないでしょうか。

 私は発病していく過程では、それがあったと思います。
 困難な組織改革のある一部を任されて、さらっと、涼しい顔で成し遂げて見せる、と思っていたのが、始まってみたら青息吐息、ノック・アウトされてしまいました。
 ノック・アウトされて、家族も医者も休めというのに長期病気休暇をとったらおしまいだ、という意識があって、無理やり出勤して毎日殴り倒されていました。

 しかし病気休暇をとってみると、職場はびくともせず、私はその他大勢の一人に過ぎなかったことを知りました。

 今は気楽です。
 駄目なものは何をやっても駄目。
 その無理をやれと言われたら、私には無理なんで他の人に、と言えるようになりました。

 もしかしたら、過労に陥らず、健康を保つ最大の方法は、出来そうもないことは断るっていうことかもしれません。
 昔は私は、これが最も苦手だったのです。

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