体罰を苦にして

社会・政治

 大阪市立高校のバスケットボール部に所属する17歳の生徒が、顧問の教師から体罰を受けた翌日、自殺するという痛ましい事件が起きました。
 自殺した生徒が親に話したところによると、30~40発殴られた、とか。

 時折、体罰は是か非か、という討論番組を見かけます。
 あれはじつに馬鹿げた企画で、学校教育法によって、少なくとも学校での体罰は禁止されています。

 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。

 上のような具合です。
 停学、退学、口頭厳重注意等は認められるが、如何なる場合にも体罰はご法度なわけです。


 すでに法律で結論が出ていることをことさら話題にして、あたかもそれが討論に値するかのごとき問題だと視聴者に思わせることに、テレビ制作者の見識を疑います。
 それをするなら、学校教育法を改正すべきか否か、という観点から行うべきでしょう。

 ある番組で体罰を是とする武田鉄也が、最後の最後、生徒と教師が向かい合って究極の場面が現出した場合、体罰を加える以外に有り得ない、などと寝言をほざき、先人の努力によって学校教育法が辿り着いた人権擁護の精神をまるで理解していないという無知をさらけ出していました。

 よく口で言って分かないやつは殴って分からせる、なんてことを言う人がいます。
 しかしおそらく、口で分からないやつは殴ったって分かりません。
 ただ、体罰怖さに分かったようなふりをして、それがために精神が歪んでいくという、教育上最悪の効果を生んでしまいます。

 生徒が暴力行為に及んだ場合には、それは明らかに犯罪なので、堂々と警察に通報し、しかるべき法的手段に出れば良いのです。

 愛の鞭というのは、SM愛好者以外には存在せず、まして教育的な愛の鞭など今までも存在したことはないし、これからも永遠に存在しえないでしょう。

 私は幸いなことに、これまで教師からも親からも殴られたことはありません。
 ていうか、兄弟や友人と殴り合いの喧嘩もしたことがありません。
 そのため、子どもや生徒に対する暴力ということに対して、非常な抵抗感があります。

 その代り、職場でパワー・ハラスメントを受けた時は、弁護士を立てて冷静に、理をもって、しかし激しく相手を責め立てました。
 相手に逆切れしたってあいつは馬鹿だと言われるだけですが、現代社会のルールに従って最も効果的に相手に打撃を加えたというわけで、今思い出しても痛快です。

 よく虐待の連鎖ということが言われます。

 虐待を受けて育つと、自分が親になるとわが子を虐待してしまう、ということですね。
 これはおそらく、幼児の頃日常的に虐待を受けたせいで、暴力というものが大したものではないと感じ、暴力に対する抵抗感が低いのが原因だろうと思われます。

 わずか17歳で命を絶った高校生の心中を察する時、私はただ呆然とするしかありません。
 暴力教師には厳しい法の裁きを望みます。
 

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