七夕。
私は何を願えば良いのでしょう?
私が何を願っているのか、自分でも分からなくなりました。
中学生の頃は、志望校合格を願っていました。
しかし、それはかないませんでした。
大学生の頃は、多少お勤めするにしても、数年のうちに華麗なる小説家デビューを果たそうと目論んでいました。
でも、それはかないませんでした。
社会人になって10数年を経てからは、不安や憂鬱がつのり、とにかく精神状態が平穏であることを願いました。
それなのに私は精神障害を発症してしまいました。
独りで生きていきたいと思っていたのに、出会い頭の事故のように結婚してしまい、今も独りを味わうことは困難です。
私が叶えたことは、精神障害の克服ですが、しかしそれは病的な状態の克服に過ぎず、それがもたらした果実は、当たり前ですが、普通の人に戻っただけでした。
しかし精神障害真っ最中の頃は、これさえ克服すればバラ色の未来が待っていると誤解していました。
それほどしんどかったのです。
今の私の願いは何なのか、本当に分かりません。
強いて言えば、今より気楽な部署に異動して、定年まで気楽なままに生きていたいと言うことでしょうか。
そういう意味で言えば、今もそんなに辛いわけではないので、いつまでもこのままでいたいと言うことかもしれません。
望んだことがことごとく叶えられなかった結果なのでしょうね。
しかしその時々で最善と思える選択をしてきた結果ですから、悔んでも仕方ないのも分かっています。
後悔先に立たずとはよく言ったもので、すっかり八方塞がりの牢獄のような地平に堕ちてしまいました。
おそらく、私の人生はまだ30年くらいはあるのでしょう。
その間、牢獄のような地平で、現状維持だけを望んで生きていくというのは、ほとんど退行欲求にも似たものです。
退行の昏い欲求を短冊にしたためるほど、私は悪趣味ではありません。
社会的成功とか、地位とか名誉とかはもはや望むべくもありません。
疲れた頭と体に鞭打って、もう一度、切実な願いを持ち、それを星に願いたいと、何だか分からないけれども切実な願いを持ちたいと、それを願いましょうか。
私に、このぬるま湯のような生活から抜け出て、もう一度目標に向かって努力する力があるのだとしたら。