日本で大人になるということは、どことなく曖昧な感じがしますね。
それというのも、日本では、大学に進んでも、就職しても、実家に住み続ける人が多いからです。
国によって様々な事情があるのでしょうが、例えば米国などでは、就職しても親元にいるというのは、異様なこととされているようです。
いわば親元を離れるということが、大人になる儀式ということでしょう。
ある社会学者が、日米の大学生にアンケート調査を行いました。
大人として認められる条件を問うものです。
米国はシンプルでした。
仕事をして社会に貢献すること、家事などの家庭生活に貢献すること、教会などの地域社会に貢献すること、この三つです。
日本ではこの三つのほかに、親の面倒をみるだとか、ご近所付き合いをするだとか、親族としての役割を果たすことだとか、色々とややこしい条件をつけています。
これは親と同居するかもしくは近所に住むことが必要であり、ここいらあたりに就職しても親元を離れないことを当然視する理由があるかと思います。
また、同じ学者の調査によると、米国の教育においては親元を近い将来離れることを前提にカリキュラムが組まれており、その際一個の大人として必要な、自己主張ができることを最も重視するそうです。
日本ではどちらかといえば、大人しくて協調性があって、勉強もスポーツもできて、親や先生の言うことをよく聞いて、という子どもが好まれるように思います。
例えば子どもが親に政治的意見などで反対しても、親はそれを立派な意見を持って自己主張した、と喜ぶそうです。
日本では生意気言うな、とか言ってゲンコツが飛んできそうですね。
同じ自由民主主義を標榜する日米両国において、家族のありようや子どもの教育はずいぶん異なっているようです。
それぞれに背負っている伝統や文化が違いますから、異なっているのは当然だし、また、どちらが優れているということもありません。
ただ、私は、若いうちに一人暮らしを経験することは、重要な人生勉強になると思います。
自由とか勝手気ままにできるということは、逆からみれば自らを律しなければ誰も注意してくれない、ということでもあります。
私は就職して一人暮らしを始め、初めて不動産屋と賃貸契約を結び、初めて飯を炊き、初めて洗濯機をまわし、初めて便所掃除をし、初めて食品の相場を知りました。
それは新鮮な驚きであり、また、喜びでした。
自分で稼いで自分一人で生活することで、一人前になれたような気がしたものです。
とくに大人のオスというものは、一つの群れに二頭も必要ありません。
オスは特に、親元を出る、という行動をとることが、哺乳類である人間として正しいように思います。
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