昨夜NHKの「クローズアップ現代」で、優しい虐待について取り上げられていました。
耳慣れない言葉ですが、これがなかなか深刻な問題です。
通常、子どもへの虐待というと、暴力、暴言など、傷害罪にあたるような行為を思い浮かべます。
しかし、そのような行為に及ばなくても、しつけ、教育が過剰であると、子どもは自尊心を持つことができず、突如登校拒否になったりして、親は多いに困惑するというわけです。
子どもはいわゆる良い子が多く、親は親で子どものためを思って心を鬼にして厳しくしつけや教育を行ってきたという思いでいるのです。
優しい虐待の怖ろしいところは、親が自分の教育方針に誤りがあったことを認めず、しかも通常の虐待と同じように親から子へ、子から孫へと連鎖していくのだそうです。
つまり親も子どもの頃優しい虐待を受けて育ち、心中深く、親への憎悪を持ちながら、しかし子どもをどうしつけるかは、憎悪している親と同じような行動しかとれないというわけで、幼少期から思春期にかけて親が子どもにどう接するかは、誠に重要であると言わなければなりません。
私の実家は両親、祖母、兄1人、妹1人、弟1人、家政婦1人、庭の掃除など外の仕事をするおじさん1人がおり、来客や出入りの業者もしょっちゅう家内に入っており、親が子どもにうるさくしつけや教育をする暇はないし他人の目はあるしで、両親のみならず多くの大人に代わる代わる可愛がられて育った記憶があり、虐待や優しい虐待を受けた記憶は全くありません。
殴られたこともなく、叱られたのはたった二度。
小学生の頃級友をいじめていたことがばれた時と、高校生の頃飲酒の末の深夜徘徊で補導された時です。
この時ばかりはひどく叱られましたが、怒鳴りつけられたわけではなく、懇々と説諭された、という感じでした。
どう考えても言い訳ができない事態でしたので、私は甘んじてそれを受け、べつに心に傷を負うということはありませんでした。
そのため虐待や優しい虐待を受けた子どもの気持ちというのは正直言って想像もできません。
しかし世の中にはそういう親子関係が少なからず存在し、それが社会問題になっているという事実は認めないわけにはいきません。
要は子どもを自分の言いなりになる玩具のようなものと考えるか、子どもと言っても人格がある他人であり、言わば小さな大人ととらえるかで、子どもへの接し方は大きく異なってくるだろうと思います。
私の両親は小学校に上がる頃から子どもを小さな大人として接したように思います。
すると子どもは自分は一人前なのだと思うようになり、自尊心を保つことができるのです。
私は自尊心の塊のような傲慢な性格で、世界で一番自分が好きです。
それだけにうつ病を発症した時の自己否定感には悩まされました。
大体自分が子どもだった頃のことを思い出せば、子どもを虐待するなんていうことはできようはずもないと思うのですが、不幸なことに虐待を受けて育った親は虐待へのハードルが極めて低いようです。
この問題の根本的解決方法は、虐待を受けて育った親の思い残しを解消してやる他なさそうです。
しかしどうすればそれが可能なのか、私には分からないのです。
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