先ほどドキュメンタリー番組で、沖縄出身の日系アメリカ人の兄と沖縄にとどまった弟が再開する様子を見ました。
兄は92歳、弟は82歳。
終戦間際、兄はアメリカ兵として故郷沖縄に上陸、当時16歳の弟は鉄血勤皇隊として、郷土防衛にあたっていたそうです。
日系アメリカ兵はもっぱらヨーロッパ戦線に送られた、と聞いていましたので、沖縄に上陸した兵がいたことは意外でした。
しかも兄は故郷名護に住んでいたはずの家族を捜索。
名護市に隣接した山中深くで家族を発見したというのです。
弟は銃弾が貫通、背中から肋骨が飛び出している重傷ながら、敵に投降することを潔しとせず、兄の説得に頑として応じなかったとか。
しかし父親の粘り強い説得に応じ、投降。
兄とはろくに言葉をかわさず、戦後兄はアメリカに帰国して庭師に、弟は大学教授になり、名桜大学を名護に設立、初代学長を勤めたそうです。
死期を悟ったか、兄が65年ぶりに故郷名護の戦没者慰霊式に出席のため来日、弟と再会を果たしたのでした。
その再開は、じつに淡々としたものでした。
握手をして、二言三言言葉を交わしただけ。
再会を喜ぶ風でもなく、かといってかつての敵を責めるわけでもなし。
そこにはあまりにも長い時間と、あまりに異なる人生を歩んだ兄弟が当然たどりつくべきとまどいがありました。
中国残留孤児の帰国事業に見られたような涙や抱擁は一切なし。
しかしだからこそ、感情を露にしないことを美徳とする私たち日本人の心を動かします。
昔から親子兄弟が相争う悲惨な戦は数知れず。
しかし日系一世のアメリカ人が父母兄弟が住むかつての祖国と直接砲火を交えるとは、なんとも痛ましいことです。
アメリカは移民の国。
どこで生まれ、どこで育とうと一度アメリカ人となったからには、アメリカに忠誠を誓うのは当然のこと。
そうはいっても故郷に銃を向け、家々を焼き払い、日本兵を撃ち殺すのはさぞかし苦しいことだったでしょう。
そのような悲劇を繰り返さぬためにも、わが国は防衛努力を惜しまず、攻め込まれるような隙をみせてはいけません。
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