今日は七草粥。
もう25年くらい七草粥など食していませんが、実家にいた頃は毎年食っていたように思います。
1月7日と言えば、忘れられないのが、昭和64年のこの日、先帝陛下が崩御されたことです。
たしか日曜日だったと記憶しています。
正月休み明けの日曜日に崩御とは、ずいぶん都合が良いなぁと思ったことを覚えています。
その時、私は大学1年生。
歴史の代わり目を見ようと、その日、悪友と皇居に出かけたことを覚えています。
東京駅から皇居まで、記帳のための長蛇の列ができていましたっけ。
先帝陛下は我が国においては激動の時代を生きた天皇として、また、多くの国々では第二次大戦に重要な影響を及ぼした最後の大物として記憶されています。
先帝陛下は東京裁判で訴追されず、また明治憲法においては、天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス存在であって、そもそも責任を問うことができなかったことから、法律的な責任は無いこととされましたが、大日本帝國の主権者であった以上、道義的な責任は免れないでしょうね。
そもそも敗戦の決定は先帝陛下自らのご聖断によるものであったわけですから。
このブログで何度か主張しましたが、私は将来的には天皇制は廃止すべきものと考えています。
その最大の理由は、皇族には日本国民に当然に与えられるべき選挙権や被選挙権、職業選択の自由や住居の自由が認められておらず、認められているのは生存権くらいなもので、社会権はほぼ無いからです。
この日本国に、当然認められるべき権利や自由が制限されている人がいてはならないと思っているのです。
わが国の伝統文化を継承するだとか、国民統合の象徴だとか、祈る天皇だとか言ったところで、ある個人もしくは一族から多くの権利や自由を奪い、その代わり絶対的に崇め奉って国家統治の道具にするなど、許されるはずが無いと思うのです。
便利に使っているだけとしか思えません。
人の一生をどう捉えているのでしょうね。
まるで被差別民のような扱いです。
ただ、現在国民の8割以上が天皇制を支持していますし、廃止には憲法改正が必要なことから、近い将来にはそれは無理だろうと分かってはいます。
しかし、時代が、天皇制は時代錯誤であって廃止すべきであると、多くの国民を導く日が必ずや来るでありましょう。
その時こそ、日本国憲法第1条を改正もしくは廃止することになるものと思っています。