兵器と軍隊の廃絶

文学

 昨日は広島に原爆が投下されてから73年目の記念日でした。

 さすがに73年も経てば被爆者が減るのは当然です。
 生まれたばかりで被爆した赤ちゃんが73歳の老人になるほどの年月ですからねぇ。

 被爆者手帳を持っている人は、亡くなるとその名が平和公園に刻まれるのだとか。

 しかし原爆投下から73年後に亡くなった人が原爆被害者だとは、私には思えません。

 私の母は4歳だか5歳だかの時に長崎で被爆し、被爆者手帳を持っていますが、ピンピンしています。
 被爆者手帳を持っていると、都営バスや都営地下鉄が無料になるそうで、しかも実家の最寄り駅は都営新宿線。

 むしろ利益を得ているような気がしてなりません。

 昨日のNHKの番組では、被爆二世までもが差別された時代があった、と報じていましたが、被爆二世である私は、差別された経験は皆無です。

 むしろ広島と長崎でのみ、そういう差別があったのではないかと推測します。

 「黒い雨」でも、広島で、被爆者である年頃の娘が差別される話が描かれます。

黒い雨(新潮文庫)
井伏 鱒二
新潮社

 

黒い雨 デジタルニューマスター版 [DVD]
今村昌平,井伏鱒二,石堂淑朗
東北新社

 井伏鱒二の名作で、映画化もされています。

 母も原爆投下の際、小石のように大きな、真っ黒い雨を浴びたと言っていました。

 核兵器は、事実上使えない兵器になりました。
 しかも使えない兵器をわずか数カ国の大国が大量に所有することにより、総すくみみたいになって、少なくとも大国同士のガチンコ対決が起きなくなったというのは皮肉なものです。

 核兵器廃絶は遠い将来の大目標ですが、今のところ、総すくみになって戦争にならない、という効果はあるので、現状維持が目標なのだろうと思います。

 核兵器に限らず、あらゆる兵器や軍隊が必要なくなる日が来ることを望んでいます。
 それはきっと、人間が人間を超えた存在にならなければ実現できない、見果てぬ夢なのではありましょうけれど。