冬を詠む

文学

 首都圏に住んでいると実感できませんが、今年の雪国はこの時季としては例年の3倍も降って難儀しているそうですね。
 年配の方が屋根に登って雪おろしをしている姿は痛々しいばかりです。

 同時に、冬場ほとんど雪が降らない地域に生まれ育ち、今も住んでいる幸運を感じます。

 梅の花 それとも見えず 久方の 天霧る雪の なべて降れれば

 「古今和歌集」に見られる和歌で、よみひとしらずとなっています。
 大雪が、白梅が散っているように見えるという優雅な歌ですが、これもおそらくは近畿地方の、あまり雪が降らない場所で、雪が降ってはしゃいでいる様子が感じ取れます。

 首都圏でも5センチ程度の積雪でニュースでは大雪と騒ぎ立て、電車は止まり、人々は転んでけがをするというわけで、雪の少ない地方では、雪が降るとお祭りのようにはしゃぐ風習が見られます。

 雪降れば  冬ごもりせる  草も木も  春に知られぬ  花ぞ咲きける   

 紀貫之の和歌です。

 
またもや「古今和歌集」から。

 春にしられぬ花、というのは、雪がうっすら積もった樹木の様子を花に見立てているものかと思われます。
 ここでも、雪にはしゃぐ様子が見てとれます。

 山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば   

  源宗于朝臣の和歌です。

   こちらも「古今和歌集」見られます。
 冬の山里の寂しさをストレートに詠んだ歌で、寒々しい雰囲気がよく出ていますね。
 こちらは雪を詠んでおらず、当然雪にはしゃぐ様子は見られません。

 実際のわが国の冬は多くの地方でこの歌のような風情だったのではないでしょうか。
 ひたすら寒く、しんどい感じ。

 私にとって、冬の詩歌といえば、もっとも敬愛する江戸期の俳人、与謝蕪村の冬の句をもって嚆矢とします。

 うづみ火や 我かくれ家も 雪の中

 
雪降る寒い日、愛しい我が家で火にあたってぬくぬくと過ごしている、という幸せな風情と、かくれ家がまるで宇宙の中心であるかのような壮大なスケールを感じます。


 冬には冬の、暖かい我が家での籠り居という退行的な快楽があるのですねぇ。
 普段は仕事があるので、そんな幸せをなかなか味わえないのが残念です。

 一方この句の対極にあるのが、冬山登山やスキーやスノー・ボードなどのウィンター・スポーツを好む人々の心性でしょうねぇ。

 多分私には永遠に理解できない心持ちだと思います。

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蕪村俳句集 (岩波文庫)
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