在日本トルコ大使館前でトルコ人とクルド人が乱闘騒ぎを起こしたそうですね。
大使館ではトルコ総選挙の在外投票が行われていたとか。
トルコ人とクルド人だとか、オセチア人と南オセチア人だとか、日本人には理解できない対立があり、しかもそれは往々にして暴力沙汰を引き起こします。
翻ってわが国とその隣国を考えてみても、あまり関係が良いとは言えません。
韓国や中国とは反日と嫌韓、嫌中などと言われます。
どうも人間、お隣が嫌いなようです。
考えてみればそれは当たり前で、遠い異国とは接点がないし、利害関係もそれほどはありません。
日米は遠い感じがしますが、広い太平洋を挟んだ隣国で、だからこそ利害が衝突し、大きな戦に発展してしまいました。
家庭においても、騒音だとか匂いだとか、あるいは単にいけ好かないだとかいうくだらない理由で隣近所と険悪になったりしますね。
隣近所どころか、親が子を殺したり子が親を殺したり、一度は好きあって一緒になったはずの夫婦が離婚沙汰に陥り、骨肉の争いを繰り広げたり。
いやになっちゃいますねぇ。
思うに、一人一人が、家族といえど配偶者といえど、基本的には自分ではない他人なのだと思い知ることが肝要ではないでしょうか。
私は同居人と一緒になって18年、付き合っていた時期が4年、計22年の付き合いになりますが、喧嘩らしい喧嘩は一度もしたことがありません。
その最大の理由は、互いに、冷たいくらい相手を他人と考え、自分と違う人格として尊重しているからだろうと思っています。
赤の他人と争うことはめったにありません。
夫婦といえど、自分とは異なる思考パターン、行動原理を持った他人です。
まして利害が決定的に衝突することなどまずありません。
何しろ家計も一緒だし、むしろ喧嘩などして嫌な思いをすることのほうが私にとって不利益です。
人は私たちを冷たい関係と思うようですが、当人同士はいたって良好な関係を保っていると思っているのです。
クルド人とトルコ人など、利害がまともに衝突する人々にそうしろと言うのは酷であろうとは思いますが、どこかで冷め切って考えないと、平穏は訪れません。
韓国人のヒステリックな反日的態度を思うとき、いったいなぜそこまでと白けた気分になります。
私は教育の最大の目的は、冷めた大人を作り出すことにあると思っています。
常に冷めていれば感情を爆発させることもないでしょうし、つまらぬ理由で他人を攻撃することもなく、また一方、利害が対立するとなれば、本気ではなく、芝居で切れて見せることができるでしょう。
怒るのではなく、必要に応じて怒ったふりができる大人が求められます。
それには冷静さを保つことこそが最大の徳目だと教えることが必要でしょうね。
そういう教員は多くないとは思います。
それならまず、教員への再教育から始めてはいかがでしょうか。