刑死の明日に、迫る夜温(ぬく)し

文学

 私が一貫して死刑制度廃止を願っていることは、このブログに何度も書きました。
 なんとなれば、この世に生きとし生ける者は、死から逃れる術を持たず、すべての生き物が死刑囚とも言え、いずれ来る死を早めることが刑罰になるとは思えないからです。

 まして宅間守のように早期の死刑執行を望んでいる者を殺してしまうのは、本人の希望を叶えてやることになります。
 それよりは、終身獄中に置いて、反省と贖罪を促すことが、刑罰として相応しいと思えてなりません。

 死刑囚の中には、永山則夫のように、獄中で小説を書いて豊かな文学的才能を発揮した者もいます。

無知の涙 (河出文庫)
永山則夫
河出書房新社

 彼が日本ペンクラブに入会したいと言い出した時、ペンクラブは喧々諤々の騒ぎになり、結局入会を認めませんでしたね。
 文学者の集まりと雖も社会を構成する団体である以上、犯罪者を入れることは出来ない、という意見と、文学は人間の恥部や悪をも描くものであり、犯罪者だからと言って入会を認めなければ、文学の死を意味するという意見が激しく対立したことを覚えています。

 それはさておき。

 死刑囚の歌人に、島秋人と言う人がいます。
 強盗殺人の罪により、33歳の若さで刑死した人です。
 この人、拙いながらも、心を打つ秀歌を残しました。

遺愛集 (東京美術選書)
島 秋人
東京美術

 特に死の前夜読んだ短歌は、涙無しには読めません。

 この澄める  こころ在るとは  識らず来て  刑死の明日に  迫る夜温 (ぬく) し
 
 切ないですねぇ。

 一種の辞世ということになるのでしょうか。

 明日死刑が執行されるという恐怖の夜を、温(ぬく)しと詠めるまでになるには、どれほどの葛藤があったことでしょう。
 窪田空穂が彼を手紙で指導し、励ましたと伝えられます。

 窪田空穂は、次のような言葉を残しています。

 我は神の造ったもの、精霊の宿る神殿で、限りなく重んずべきものである。

 全人類が尊重されるべき精霊の宿る神殿であるならば、死刑囚もまた、そうでなければなりません。
 怖ろしい犯罪者で、生かしておくことは出来ないほど憎い所業に及んだ者であっても、神ならぬ身の人間が、いずれは朽ちると決まっている精霊の宿る神殿を破壊して良いはずがありません。

 もちろん、大勢の人間が生きる社会において、重大なルール違反である犯罪を犯した者は、必ず、刑罰を受けなければなりません。
 そうでなければ、社会はやったもん勝ちになり、瓦解してしまうでしょう。

 しかしそのことと、泣こうが喚こうが無理やり引っ張って行って首を絞めて殺してしまうということの間には、大きな乖離があるように思います。

 殺人鬼であろうと、国家は命を奪わないという了解が、広く日本国民の間に広がってくれれば、と願います。
 現段階では、日本国民の8割くらいが死刑制度を支持しているそうですから、道は遠いですが。   

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