今日は日曜日。
一日フリーの土曜日とは大きく異なり、一週間分の洗濯、買い物、掃除と、家事に明け暮れます。
さらには月曜日への恐怖からか、沈みがちです。
サラリーマンの宿命でしょうか。
我が家から徒歩5分くらいのところに、大きな家具屋があります。
ダイニングチェアがダメになり、ガタガタ揺れるようになってしまいました。
私が独り暮らしを始める時に購入した安物で、もう28年も使いました。
ダイニングテーブルはびくともしていないので、ダイニングチェアだけを購入しに家具屋を訪れました。
一口にダイニングチェアと言っても、じつに様々で、大いに迷いました。
安いものは1万円程度、高い物は50万円もします。
良いなと思うものは軒並み10万円を超えていて、さすがに10万円使うのはもったいない気がして、悩んだ挙句、それでも一脚99,000円の椅子を2脚購入することを決定。
これがギリギリの妥協で、もっと安い椅子には何の魅力も感じませんでした。
少々脱力気味です。
考えてみれば、今使っている椅子に、よくぞ28年も座り続けたものです。
安物だったことを思えば、十分にもとは取ったと言うべきでしょう。
先般はトイレと浴室の換気扇を買い替えました。
古いやつ、異音がするようになったためです。
15万円くらいしました。
古くなった浴室の清掃に、素人では落とせないような汚れがついてしまい、清掃業者に風呂場の清掃を頼んでおり、近々、行う予定です。
こちらは4万円。
キッチンの換気扇は何年も前に替えています。
新築で入居したマンションも20年を超え、あちこち修理が必要になっています。
家も家具もしょせんは消耗品。
人間が年を取って様々な病気に罹患するのと一緒です。
これが時の流れというものでしょうか。
時が流れるのは早いと嘆く人はたくさんいますが、私はそうは思いません。
1年は永遠のように長く感じますし、10年なんてあまりにも先で、生きているのか死んでいるのかさえ危ういものです。
人生なんて宇宙の歴史から見れば一瞬なのかもしれませんが、おぎゃあと生まれて成長し、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と膨大な時間を費やして社会人になります。
22歳で就職すれば60歳の定年まで38年。
やっとリタイアする頃にはすっかり老けて、何をするにも億劫になっていることでしょう。
私は時折普通のサラリーマンが過ごす一生を思い、慄然とします。
食うための時間が長すぎて、いったい何のために生まれてきたのか、わけがわかりません。
働いて働いて働いて死んでいく。
年とともに勤労意欲など1ミリも無くなり、それでも食うために辞めるわけにもいかず、辞めろ圧力に耐えながら、必死で職場にしがみついているというのが私の現状です。
そうなると、1年どころか、1日がとてつもなく長く感じられます。
なすべきことをなそうと必死になっても、時の流れが速いとは感じません。
これが圧倒的多数のサラリーマンに起こる現象なのか、あるいは私が変なのか、よく分かりません。
椅子の老朽化も、私の劣化も同じこと。
あまりにも長い年月を経たことによる経年劣化です。
椅子は買い替えることが出来ても、人間を若返らせることなどできませんし、一秒でも若返りたいなんて思いません。
若い頃の馬鹿な行動や、時代の要請による長時間労働、色恋沙汰や過度の飲酒による二日酔い。
そんなことを再びやれなんて、考えるだけでぞっとします。
やっと定年まで7年と言う地点に辿り着いたのですから。
その7年の間にも、確実に経年劣化は進むでしょう。
勤労意欲を無くしたおじさんですが、働き続けるより他、生きる道はありません。
どんなに劣化しても。