千年

文学

   来週の火曜日、8月22日は私の誕生日。
 48歳になります。

 48年なんて、長い歴史から見ればわずかな期間です。

 人間の歴史は宇宙の歴史からみれば一瞬ですが、それでも、現在を生きる私としては、とてつもなく長い年月の積み重ねに感じます。

 そういえば、子供の頃は冷房は居間にしかなく、扇風機だけの自分の部屋で眠らなければならない真夏は過酷でした。
 学生の頃、実家が農村の友人宅を尋ねたら、トイレは水洗になっておらず、築100年の茅葺の家で、まるで日本昔話のようだと驚いたことがあります。
 台所は土間で、居間は板の間で囲炉裏がありました。

 近年の技術の進歩はすさまじい勢いで、情報環境をはじめとして、30年前の暮らしと現在とでは、大きく異なっています。

 今私がこうして当たり前のようにアップしているブログも、ほんの20年ほど前までは、ほとんど見当たりませんでした。

 時代は移ろい行くようです。

 そう思うと、千年も昔のことなど、想う術とてありません。 

 千年を 世界の人の あゆみける 路ほそぼそと 眼にうかび来る   

 窪田空穂の短歌です。


 千年の歩みなんて、眼には浮かびませんが、壮大な歌だと思います。

窪田空穂歌集 (岩波文庫)
大岡 信
岩波書店

 千年王国という言葉がありますね。
 もともとはキリスト教の言葉で、様々な解釈があるようですが、キリスト受難の後、キリスト教の教えが広まり、千年間もの至福の時代が訪れ、その後神と悪魔との間で最終戦争(ハルマゲドン)が起き、最後の審判が行われる、というふうに私は理解しています。

 ナチもまた、第三帝国のことを千年王国と称していましたね。

 千年というのは、儚い人間にとって、永遠という意味もあったのではないかと推察します。

 千年の歩みがとてつもなく長いと感じるのと同様、あるいはそれ以上に、これからの千年を思い浮かべることは困難です。

 科学技術はどれだけ進歩するのでしょう?
 人間社会の在り様は?
 そもそも人間は生き残っているのでしょうか?

 私がいくつまで生きるのか知りませんが、どれだけ長生きしたって100歳がやっとでしょう。
 千年先の世界が穏やかであらんことを祈るほかありません。


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