南方浄土

文学

 浄土というと西方に在るというのが一般的ですが、平安時代から江戸時代にかけて、南方の浄土を目指す命がけの渡海が行われていたことを、最近知りました。

 西方浄土の場合には、あくまで信仰上の問題で、実際に西に向かって旅立ったという話は寡聞にして知りません。
 しかし南方の場合には、多く那智の海岸から、小舟を仕立てて、あえて台風の多い11月に、僧侶一人が乗りこんで、海流のままにこぎ出したそうです。
 南方の海の彼方に浄土があると信じたのですね。
 当然のことながら、その小舟がどうなったかという記録はほとんどなく、いわば即身成仏のような、自殺行だったと考えられます。
 
 これを、補陀落渡海(ふだらくとかい)と呼んだそうです。
 
 私はこれを、井上靖の「補陀落渡海記」という作品で知りました。

 那智の補陀落寺の住職は61歳になると補陀落渡海に出るならわしがあり、周囲の圧力から逃れられません。
 住職、金光坊はこの自殺でしかない宗教儀式の時を、死の恐怖と信仰の狭間に揺れながら待っています。
 そして渡海後、金光坊は船から逃れて小島に上陸し、生き延びようとしますが、役人や信者に捕えられ、再び渡海を強要されます。
 井上靖の筆は淡々と、冷静にことの次第を描写していきます。その冷静さが、いかにも怖ろしいのです。
 
 その後、生きたままの渡海は行われなくなり、住職の死後、遺体を船に乗せて海に流す水葬に形を変えたそうです。
 信仰心ゆえか、おのれ一人救われたいがためか、分かりませんが、無謀なことをしたものです。
 私が坊主だったら、絶対に補陀落寺の住職にはなりたくありません。
 
 

補陀落渡海記 井上靖短篇名作集 (講談社文芸文庫)
曾根 博義
講談社
観音浄土に船出した人びと―熊野と補陀落渡海 (歴史文化ライブラリー)
根井 浄
吉川弘文館