古人

文学

  明日はこの前の日曜出勤の振替でお休み。
 今宵は心置きなく、独り、焼酎をいただきました。
 そうはいっても、ロックで2杯。
 ずいぶん酒が弱くなったものです。

 同居人は近頃忙しいとかで、残業のためかまだ帰りません。
 私としては独りの酒を楽しめて、うれしいかぎりです。

 同居人はじつは私よりも酒が強いくらいですが、私のような愚かさは持ち合わせていないようで、毎日晩酌するような馬鹿な行為には及びません。
 せいぜい、週末、私と2人で飲むくらいです。

 2人の酒も楽しいですが、独り飲む酒はまた格別です。
 横に「新古今和歌集」「方丈記」でもあれば、私は古人を友として、愚かな酒に酔うのです。

 古人は多く酒に酔い、花に酔い、月に酔って、わが国の文芸の花を開かせました。

 それは昨今の愛だの恋だのを恥ずかしいくらいにストレートに歌う流行歌とは違って、じつに奥ゆかしいものです。
 私はそれら古人の詩歌に接するたび、兼好法師「徒然草」の一節を思い出します。

 何事も、古き世のみぞ慕わしき。今様は、むげに卑しくこそなりゆくめれ。

 兼好法師の時代にも、昔は良かった式の、老人のたわ言が幅を利かせていたのですね。
 これは老境を迎えた者が誰でも陥る病のようなもの。 

 冷静に考えれば、昔が良くて今が悪いわけはありません。
 なんとなれば今は数十年後には昔になり、数十年前に昔は良かったと言った時代を覚えている者はいなくなるわけですから。

 戦前には、40代後半となれば老人でした。
 戦前の雑誌で48歳の谷崎潤一郎をつかまえて、谷崎翁と書いています。
 人生50年が当然の時代には、当たり前の年齢感覚であったことでしょう。

 それなら43歳の私はもう初老。
 初老のわりには雑巾がけのような仕事を続けていますが。

 正直に言って、私は自分が初老を迎えたという感覚はありません。
 それは時代の要請というか、寿命が延びたせいでありましょう。
 しかし人間精神の年齢による成熟もしくは衰えは、谷崎翁の頃と変わりありますまい。

 熱い思いで待ち焦がれる定年まではまだ17年もあります。

 私はもはや自分が初老に達しているのだと知りながら、社会の要請に従って、若いようなふりをして生きていかなければなりません。
 それは大層しんどいことですが、現代社会のスタンダードに従わなければ飯を食っていけない以上、やむを得ざる仕儀と言うべきでしょう。

 なんだか先ほど飲んだ焼酎が効いてきたようです。

 酔いにまかせての駄文・乱文、お付き合いいただき、ありがとうございます。

 私はここいらで、ひと時の夢に逃避することといたしましょう。

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