同居による孤独

思想・学問

 最近わが国では、高齢者の孤独死が後を絶ちませんね。
 いずれ私も年老い、孤独死するでしょう。
 他人事ではありません。
 しかしこれはなにも日本に限った現象ではありません。
 欧米などの先進国でも、同様の問題が発生しています。
 「Heat Wave: A Social Autopsy of Disaster in Chicago」
という本がアメリカで出版され、大きな話題を呼びました。
 「熱い波ーシカゴにおける社会的災害の検死」というほどの意味になろうかと思います。
 内容はシカゴでの数百人にもおよぶ独居高齢者の孤独死を分析したものですが、そこには日本と似た問題と、日本とは異なる問題があります。

 一般に日本では、老後は自分の子ども家族と同居して、孫の笑顔に囲まれながら暮らすのが良い、という風潮があったように思います。
 その当然の帰結として、老人の独り暮らしは寂しくつらいものだ、という認識が導き出されてきました。
 一方米国では、成人した子供と同居する習慣がなく、夫婦のうちのどちらかが亡くなれば必然的に老人の独り暮らしが生まれるものと考えられてきたそうです。
 しかし米国では事態はさらに進んで、独居を避けるために夫婦関係を継続することは無意味というより有害だと考えられるようになってきたそうです。
 夫婦としては破綻してしまった相手と同居を続けるのは、独り暮らしよりひどい、つまり、同居による孤独が生まれるというのです。

 嫌な相手と角突き合わせて暮らすのはしんどいでしょうから、一秒でも早く離婚したほうがお互いのためでしょう。

 日本において、深刻なデータがあります。
 老人の自殺率が、独り暮らしより家族同居、それも大家族であるほど高いというのです。
 これをどう見ればいいんでしょうねぇ。
 家族といえど親子といえど他人ですから、人間関係の悩みでしょうか。
 それとも大家族のなかで何も貢献できないお荷物のような意識が芽生えるのでしょうか。
 これも米国とは違った意味で、同居による孤独が引き金になっているのかもしれません。

  
「Heat Wave: A Social Autopsy of Disaster in Chicago」では、社会的なネットワークを充実させることが必要だ、と言っています。
 わが国においても自治体によって見られることですが、ゴミ出し日にその人がゴミをだしているか確認するとか、新聞がたまっていないか配達者が確認するとか、あるいは警備会社などと契約して、一定時間トイレの水洗が流されないでいると警備員が駆け付けるとか、そういうことですね。
 後はサークル活動やボランティア活動への参加を促すとか、わりとありきたりです。
 しかし最も心配なのは、軽度の知的障害や精神障害を負った高齢者だそうです。
 重度であればそもそも独り暮らしは不可能ですから、軽度の障害を持った高齢者ほど社会から孤立し、孤独死する危険性が高いということで、これを避けるには政策的配慮が必要になりましょう。

 先進国のなかでもずば抜けて少子高齢化社会が進行中の日本。
 この現実から逃れる術はありません。
 移民受入という劇薬は、できれば使いたくありません。
 同質性の高い日本民族と移民との間で軋轢を生むのは必定です。

 人は生きている限り老い続けるもの。
 生まれたばかりの赤ちゃんだって、老いと死へのカウントダウンは始まっています。
 
 
年寄り笑うな行く道じゃもの。

 世代間で、あっちのほうが得だとか損だとか言っている場合ではありません。
 もし現役世代が、今の高齢者は恵まれていると嫉妬したとしたら、必ず自分が高齢者になった時に、それに倍する勢いでその時の現役世代から嫉妬を買うでしょう。
 まずは平穏に暮らせる社会を作ることに貢献した高齢者に感謝し、現役世代もそういう社会を持続できるよう肝に銘じるべきでしょう。
 十年後や二十年後、日本の社会情勢がどうなっているかなんて、誰にもわかりません。
 今できるのは、社会常識にしたがって、義務を果たすことしかありません。
 そして、選挙権を行使して意思表示をする。
 その地道な積み重ね以外に、日本が繁栄を謳歌する道はありません。

Heat Wave: A Social Autopsy of Disaster in Chicago
Eric Klinenberg
Univ of Chicago Pr (Tx)

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