今日、参議院選挙が告示され、ニュースをつけるとそれぞれの党首がどこで第一声を挙げ、どんなことを訴えたのかばかりが放送されています。
それぞれにそれぞれの正義を振りかざしていますが、見ているとなんだか白けますねぇ。
選挙だから当たり前ですが、それぞれの正義を主張するだけでなく、他党を責めちゃったりなんかしています。
多様な価値観が存在する民主主義社会のわが国において、絶対の正義なんていうものは存在しないのだということを実感させられます。
今回の選挙戦で私が印象深く見つめたのは、小沢一郎率いる生活の党。
ここ20年ばかり、小沢一郎は常に政界の中心にいて、その一挙手一投足が注目されてきました。
しかし、おごれる者は久しからずという言葉どおり、小沢一郎の動きはほとんど報道されません。
もはや泥船。
しかし、その泥船にしがみつく小沢シンパの候補者が多数存在します。
なんだか哀れすら感じます。
そして多くの候補者の必死の訴えを聞くたびに、小泉進次郎という人が、天才的な演説を行う人なのだということを実感します。
絶叫調で演説を行う候補者が多いなか、小泉進次郎という人、そんなに声を張り上げることもなく、時には皮肉めいた毒舌を交え、聴衆の心をとらえます。
何よりうまいのが、間の取り方。
しばし黙って、聴衆がおや、と思った途端に流暢に話すやり方にはうならされます。
まさしくお父様ゆずりの天性の話術です。
おそらくは自民党が勝つのでしょうが、私は今回の選挙に冷めた目を向けています。
かつて民主党は敵失で政権を取り、今また、自民党が民主党政権の失政で息を吹き返しています。
そう考えると、どちらも素晴らしい政策を訴えて自力で勝利したのではなく、相手が不甲斐ないから勝ったというだけのこと。
近頃もてはやされているアベノミクスなる政策も結局は格差を拡大するだけのような気がします。
しかし私たち有権者は、それらの中からよりマシと思われる政党、候補者に投票するしかありません。
私は自由民主主義は素晴らしい制度だと叩き込まれて今まで生きてきました。
でもそれは、比較的マシな制度であるにすぎません。
かつてドイツ国民が、ヒトラー率いるナチ(国家社会主義ドイツ労働者党)を熱烈に支持したのも、理解できます。
第一次大戦で敗北し、多額の賠償金を課せられたドイツ国民が一気にプライドを取り戻そうとしたのは当然でしょう。
ドイツが第一次大戦の賠償金の支払いをほぼ終えたのは、2010年10月と聞き及びます。
ドイツが第一次大戦に敗れたのは、1918年です。
第二次大戦の最中は賠償金の支払いを拒否していたようですが、それを差っ引いても、90年近くも賠償金を払い続けてきたことになります。
これはいかにも過酷です。
だからこそ、第二次大戦終戦に際しては、馬鹿げているほどの多額の賠償金を戦勝国は求めなかったのでしょうねぇ。
私はそれが正義であるか否かは別にして、世界のスタンダードに従った現実的な政策を打ち出す政党に投票しようと思っています。
それがどこなのか、これからの選挙戦を注視しながら、じっくりと見極めたいと考えています。