呪う

社会・政治

 今日は我が国が連合軍に降伏することを全国民に知らせる玉音放送が流された日です。
 一般にこの日を以て終戦と言うべきか敗戦と言うべきか、とにかく戦争が終わった日とされます。
 国民は疲弊しきっていたでしょうから、内心ほっとしたという人も多いでしょう。
 また、大日本帝國は無敵であって、敗れるはずがないという信念を持って生き続けてきた人々にとっては屈辱の日だったでしょうね。

 戦後79年が経って、もはや太平洋戦争は歴史上の事件となりました。
 今は多分、次の戦争の戦前なのだろうと思います。

 戦争が悪であることは誰もが承知していますが、仮想敵国が何がなんでも戦争で相手を叩き潰すと固く決定してしまえば、戦争から逃れることは出来ません。
 いくらアホダラ経のように戦争反対を唱えたところで、それは虚しいばかりでしょう。
 戦争を避けるためには地道な外交努力しかありませんが、これも相手が戦うことを決意してしまえば、無駄なこととなり果てます。

 結局は叩けば大損するということを知らしめるための軍事力を保持することが最も平和を維持するのに役立ちます。

 馬鹿げていますね。
 戦いを避けるために多額の税金を投入して強力な軍隊を保持しなければならないなんて。

 しかしながら全世界が抑止力のための武装を追い求めているのだとしたら、我が国だけがその愚かな行いを嗤うことはできません。
 頭のおかしい人々で埋め尽くされた世界では、自分も頭がおかしいか、おかしいふりをするしか生きていく道はありません。

 人間というもの、殺し合いが好きです。
 大河ドラマなんかでも、戦国時代や源平合戦、幕末の動乱ばかりが題材に選ばれることを以てしても明らかです。

 この愚かな種に生まれてしまったことを呪うばかりです。