平凡な毎日をおくるなかでは、ひどい悪や、素晴らしい美を経験することはほとんどありません。
日常生活が退屈な所以と言えるでしょう。
日々を平凡に生きていると、素晴らしい美的体験や、逆に反吐が出るほどひどい悪に巡り合いたいという極端な欲求を持つことがあります。
それが、グロテスクなホラー映画や、美的な芸術を鑑賞したいという欲求に繋がるのでしょう。
たびたび指摘したことですが、私は、真実は嘘八百の中にしか存在し得ない、という予感を強く持っています。
自然科学はこの世の在り様を解明することはできても、在り様の真実を突き止めることは出来ません。
人文科学にいたっては、ほとんど思考の遊びに堕しています。
私が学問を信じない所以のものです。
文学作品などの芸術の分野は、端から真実の探求を捨て去り、おのれの直感や霊感の命ずるままに、美しいと思うもの、あるいはある見方を提示する作品を生み出していると言えるでしょう。
逆説的ですが、真実の探求を捨て去ったからこそ、真実に近づくことが出来るのだろうと思います。
私の精神性は、そういった嘘八百の世界に強いシンパシーを感じるように出来ているようで、そのためか現実社会で平凡なサラリーマンとして生きるのはかなり苦痛です。
仕事はどうにかこなしているし、そこそこ評価もされていると思いますが、職場では、どうも芝居をしているような気分が抜けません。
会議などで議論が白熱した場合、私もそれに参加してはいますが、いつも、どっちだっていいじゃん、としか思えません。
完全なダメ社員ですが、不思議なことに要領が良いらしく、ダメが出たことはありません。
私はおのれが器用に生まれたことを呪っています。
不器用に生まれれば、職場での芝居は破綻し、結果として野垂れ死にすることになっても、嘘八百の世界でだけしか生きられなかったことでしょう。
しかし私は、わずかな収入を求めて、退屈な芝居を演じ続けるしかありません。
経済的な破綻はやっぱり怖ろしいですから。
それは絶望的なことですが、僅かな光明が無いわけではありません。
定年退職して年金がもらえるようになれば、私は夢幻の世界の住人に戻れるでしょう。
学生の頃のように。
その時こそ私は私となって、私一人のために生きることが出来るでしょう。
一番恐ろしいのは年金制度の破綻です。
一生芝居を続けるのはかないませんから。